たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第114号・2017.09.10
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応えられそうで、答えられない…、平和って、どんなこと?

「平和って、どんなこと?」(六耀社)

 

平和って、どんなこと? うちつづくシリア内戦、各地で頻発するテロ、そして人種差別がふつふつと顔をだす…、どんな角度から見ても世界の現況はおかしくなっている。決して平和の風景ではない。

 身近にかかわる至近の実際も不穏だ。

 七月七日、ニューヨーク。国連の条約交渉会議は全廃と根絶を目的とする「核兵器禁止条約」を採択。国連加盟193か国中124か国が出席し122か国が賛成票を投じた。前文には「ヒバクシャにもたらされた苦痛」という画期的一文も入る。だが、唯一の被爆国・日本は、この会議に出席すらしなかった。

 八月九日、長崎。原爆投下から72年目の平和記念式典挙行。式典後に安倍首相と面談した被爆者連絡協議会の川野浩一さんは、「あなたは、どこの国の首相ですか?」と「核兵器禁止条約」を批准しない方針の首相に直接、怒りをぶつけた。

 おなじ八月九日、アメリカ&北朝鮮。無茶苦茶なふるまいをつづける世界の問題児ふたり、トランプ&金正恩はたがいに核兵器使用をちらつかせてののしりあう。チキンゲームの結末はどうなるのか。チキン(臆病者)はどっちだとおもしろがっていてはだめだろう。こんな恫喝合戦が戦争のひきがねとなることを、歴史は語ってきたはずではないか。

  さすがに英独仏らの首脳が挑発に乗るなとトランプに忠言する。ところが、わが政権は米側におおむね同調の姿勢。おい、おい、おい…と不気味な思いに、ぼくはとらわれる。

                    *   *   *

 平和でない状態はすぐにでもわかる。だが、平和とは、いったいどんなことか。 「平和って、なんだ?」と問われると、こんなことかあんなことかと想いはめぐるがどうにも言葉につまってしまう。

 平和は、どんな風に見え、どんな音が、どんな匂いがするのだろうか。

 絵本『平和って、どんなこと?』で、カナダの総督賞受賞作家W・エドワーズは問いかける。平和とは、ぼくらが何かをしたり・つくったりすることか。いつかどこかで発見できるようなことか、とたたみかける問いは66にものぼる。

 韻をふんで語る詩文の問いはやわらかく、やさしい語調で心地よい。ところが、強くリズムカルなことばは、こころをゆさぶりながら胸に突きさしてくる。

 “平和は、ふるい むかしのこと ですか?/あたらしい いまのこと ですか?” “平和は、とるにたらないこと でしょうか?/こっけいなこと でしょうか?”

 読みすすめる時間や空間は哲学の世界のようで、平和について考えること、行動することの大切さを本書は示唆するが、どこをさがしても解はない。で、こんな問いをつづける。

  “平和は、ひとりのために あるのですか?/みんなのために あるのですか?”

  “平和は、せかいを ひとつに できますか?”

 となりの人びとを、まわりの人びとを、世界の人びとを、見わたせ、というのだろうか。作者の問いはつづき、ぼくをどきっとさせる。

 “あなたは、平和のまわりに かべを つくっていませんか?”

 “あなたは、平和に ねだんを つけていませんか?”

 わが政権は平和実現について「積極的平和主義」をかかげる。これは核兵器で戦争を抑止し、場合によっては軍事力で制圧するという考えだが、これほど矛盾に満ちた用語はない。そうだろう、積極的に国家がまずやるべきは、核兵器や貧困・抑圧のない、つまり戦争や暴力のない社会づくりに動くことだろう。

 平和は、人によって変わったり、時代によって変わったりはしない。政権の面々にこそ、こんな絵本を読んでほしいと思う。

  “わたしたちは、平和を 目の前にしたとき、それを 平和だ と わかりますか?

 ” 世界の人びとすべてがしあわせに感じる時間や空間……、「平和って、どんなこと?」の問いは、平和の輪郭をぼんやりと印象に残しながら終わる。

 読み手のこころを強くゆさぶるすばらしい傑作だろう。

(おび・ただす)

(『平和って、どんなこと?』ウォーレス・エドワーズ=さく おびただす=やく 六耀社)

 

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