たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第109号・2016.11.10
●●98

ゴッホのアルル時代と子どもたち
名作誕生のある裏面を描く

「あるアーティストと悪がきだったぼくのこと」(六燿社)

 

あるアーティストと悪がきだったぼくのこと いじめによる子どもの事件があとをたたない。生きる希望を失い自殺に走る少年少女たち。仲間内でのいじめが虐待や殺人に発展した事例も報告される。

 辞典は、その語意を「弱い者をいためつけること」(『岩波国語辞典』)とするが、果たしてこれだけの意で説明つくのだろうか。児童生徒によるいじめについて2006年以降、文科省や「いじめ防止対策推進法」制定で定義づけされた。だからといっていじめとは何かと問うてなるほどと確信できる解はない。

 いったい、子どもたちの間だけでいじめは生じるものではないだろう。社会では数を恃んだ少数者いじめがあり、権力をふりかざしていじめに奔る輩もいる。社会的偏見や差別意識でのけ者あつかいするおぞましい仕打ちなど、いじめの極みではないか。

 ぼくの子ども時代はどうだったか。わりあいに実直素朴にすごしたと憶うのだが、それでも、友人らを言葉攻めでひやかし・からかうなどのいじめをやった記憶がある。親しみの表現のうちと暢気で陽気なふるまいのつもりであったけれど……。それは、自分勝手な思い込みではなかったか。歳を重ねて回想するたびに、あの時の友はどう感じていたのだろうかと、胸がちくりと疼くのである。

 『あるアーティストと悪がきだったぼくのこと』は、初老の男がひどい悪がきだったという本人の少年時代を回想してちくりと疼く胸の裡(うち)を吐露する物語である。

 およそ130年も昔のこと、19世紀末のことだ。少年時代の男は、フランス・アルルの美しい田舎町で育った。そこに、30半ばの得体の知れない青年画家がパリから移住してくる。

 青年に青年らしさはまるでなく、老人のような風貌であったらしい。青年は重いイーゼルを肩に背負いアルルの街や田園地域を歩きまわった。写生し描くだけの毎日で、着た切りの薄汚れた身なりの風貌はアルルの人びとに奇異に映ったにちがいない。青年はどうして生活を成り立たせているのかも分からなかった。

 そのうち、「絵を描いて世の中の真実を語りたい」などと青年がおかしなことを言い、よく分からない絵ばかり描くとか、数々の奇行もありとうわさが立つ。大人たちの口の端に青年を揶揄する言葉がのぼりだすと、子どもたちも鋭角に反応する。―大人たちは「みてみろ、ばかなやつがとおるぞ」とからかい、子どもたちははやし立てる。少年時代の男も同じように「役立たずのばかなやつ」と青年をののしるではないか。

 少年時代を回想する男は作者の創作人物だ。一方、得体の知れない青年は美術史上の巨人、あの炎の天才画家フィンセント・ファン・ゴッホのことなのである。

 絵本で、少年はあざわらいながらも青年画家にしだいに惹かれていくように描かれている。青年の描くことへの異常な執心ぶりに関心をかきたてられて姿を追い、絵をのぞき見し驚嘆したり感動したり。そうでありながら青年を揶揄する多勢には同調するという少年の複雑な心の動きも見せるのだ。

 どうやら少年は悔いを残していたのだろう。後年、白髪の老人となった男は、高名となった画家の展覧会にでかけて悔い改める機会を得るという結末になる。

                     * * * 

 作者は、ひとつに、風采や生活ぶりだけで人物の人となりから能力まで勝手に判断してしまう人々の未熟さ拙さが陥穽となることを語り、人物そのものの性は全体像をつかまないかぎりわからないことを語っているように思う。

 ふたつに、いじめは些細な行為から案外はじまるのではないかと暗に語っていることがある。実際、語られる悪がきのひどい行為は、からかい・あざわらい・時にモノを投げるといった行為で、現在社会で取沙汰される陰惨ないじめや虐待・粗暴行為とかなり遠いイメージで綴られる。今日の読者に格別のいじめのイメージを与えることはないだろう。子どもたちを読者に考える配慮もあるだろうが、現在のいじめ状況を見聞して強い刺激に慣れきった大人たちへの警鐘だと考えてもいいだろう。些細なからかいの類から、いじめがどんどんエスカレートしていった事例は多い……。

 そして、なによりゴッホの物語だ。ゴッホは35歳でアルルに移住し37歳で短い生涯を終えた。この二年間、不遇のなかで描くことだけに専心したゴッホの生きざまはすさまじい。この間に描いた大傑作の数々、ゴーギャンと関わる耳きり事件、精神病り患、そして自殺(?)……。

 これら経緯を作者はテキストでは語らない。それとなくイラストで描出して証しながら読者の想像力に任せている。作品と生き方を理解するには業績だけでなく生き方来し方の表裏全体を捉える努力をなせと示唆しているのではないだろうか。

  一読だけでは掴みどころにためらうが、信頼できる読者K女史が語るようにスルメと同じ、読めば読むほど(噛めば噛むほど)味わい深い絵本だと思う。
(おび・ただす)

 

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