たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第106号・2016.05.10
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素朴さってなんだろう。ルソーの絵が語るもの

『ひとりで学んで、画家への夢を追いかけたアンリ・ルソー』(六耀社)

ひとりで学んで、画家への夢を追いかけたアンリ・ルソー このところ、ぼくの住処を校区とする小・中学校をよく訪ねる。概ね季節の学校行事を参観するのだが、校庭に遊ぶ学童らにも接する。首都圏ではあるが郊外住宅地の市原では中学までほぼ全員が同じ学校に通う。子どもたちの瞳は澄み、一挙手一投足にことばも弾んでいる。偏差値輪切りのつまらん一色学校とは相当ちがうはずだ。素にして朴なのだ。まっすぐで、明るく、のびのびしている。とくに小学児童の姿にふれると、ぼくにもわが子たちにもこんな時代があったのだとなぜか涙線が緩んでしまう。素直さを全身にみなぎらせる児童に真正面から見つめられてどきまぎしてしまうのは、ぼくの方だ。  

 かくして、自然に遊ぶ児童らの素朴さにふれると、ぼくの胸の裡によどむストレスや鬱陶しい事柄のあれこれは和み剥げ落ちるのである。

  どうして人々は児童期の素朴さをやすやすと捨て去るのだろうか。平気でうそをつき、あの東北や熊本の大震災でさえ、被災者に寄りそうでなく体裁だけ悼む言葉をつらねながら政治的経済的利用を謀ろうとする。虚飾にまみれず、想いに正直に、つまり自然な世界と素朴に共生する。そんなことができたなら人間社会はどれほどに平穏だろうかと、ぼくは無いものばかりになった現状社会にしきりにおねだりをしたくなる。

 素直に素朴に夢を追い晩年になって画家の扱いを受けたアンリ・ルソーの生き方はどうだろう。絵本『アンリ・ルソー』はそんなルソーの生涯を平明に語っている。

 お金に縁のない税官吏だったルソー。自然を愛し植物・生物に関心を寄せていた彼の愉しみはパリ市の豊かな公園や植物園を訪ねることだった。その彼が40歳になってずっと夢にしていた画家への道に踏み出した。ところが、美学校で学んだこともないルソーの絵を評価するものは誰もいなかった。そればかりか、特権意識に堕した画壇というのだろうか、心ない評論家たちは、「もし、大笑いしたければ、アンリ・ルソーの絵を見に行くといいさ」などという口汚い批評を浴びせつづけた。今日の日本社会でもよく見られる悪弊だろうか。

 ところが、彼は一向にめげなかった。そればかりか、紙面の酷評でさえ切り抜いてスクラップし、ひとりで学び、ひとりで想う技法で描きつづけたのである。

 ルソーにとって評者の批評などどうでもよかったのではないか。愚直に、素朴に自然に親しみ、描きたい対象をひとりで学んだ技法でただ描きつづけることがだいじだったのではないだろうか。なぜなら、それがルソーの生き方であったから……。

 そのうちアンリは達観する。少しずつ自分自身で自分の絵が分かってきたのだ。自分の描く線や画風は、他の画家のだれよりもシンプルで素朴であり、その特徴が自分の作品を活かしていると……。こんなルソーの画業を認めたのがあの、ピカソであり、アポリネールだった。天才は他の才能を知るということだろうか。以降、アンリ・ルソーが素朴派の巨匠として知られるようになったのは美術史が語るとおりである。

                           * * *

 61歳になって画業を認められることとなったアンリ・ルソー。達観した彼に格別の想いはあったのだろうか。素朴に描きつづけられる喜びはあっただろうが……。

  ところで、酷評しつづけていた評論家たちはどうしただろうか。ゲスなカン繰りはやめておこう。

(おび・ただす)

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