たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第102号・2015.09.10
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すなおに強く、語ろう。「せんそう しない」と…、

『せんそう しない』(講談社)

 戦後は終わらない。戦後が新しい憲法を得て、人々の暮らしに平安をもたらしてきたとすせんそう しないれば、終わらないでいいのだと思う。戦争終結から70年になる8月。首相談話が発表された。談話は、日露戦争を正当化し、あの15年におよんだ日中戦争や、つづくアジア太平洋戦争についても、日本が惹起した侵略戦争であることをぼかした。何をかいわんやの不可解な談話に終始したのである。これに関わるのだが、現政権は戦前復帰を意図するのか勝手な憲法解釈で一連の安保法案を閣議決定、衆院で強行採決してしまうという暴虐に走った。知らんぷりでいた多くの国民もさすがにとんでもないことだと立ち上がり、学者研究者は法案の憲法違反を指摘する。これらの人々が抗議の声を発して議事堂を連日取り囲む。いまや60年安保闘争以来という国民の怒りが国中を熱くおおっているのだ。

  あいまいな首相談話の背景にこんな状況があった。追い詰められて侵略・植民地支配・反省・お詫びの言葉をちりばめてみたものの、だれが語っているのか要領を得ず、これらの言葉を使いたくない首相の魂胆が丸見えになった、ということだろう。
学者の声を馬耳東風とする人々は学問をなんと心得ているのだろう。何のために学問があるのか、反知性を押し通す人々の傲慢さに、子どもたちは何を思うだろう。
子どもたちはすなおにそのおかしさに気づくにちがいない。平和実現のために武器を持ちアメリカとともに戦場にいくこと、つまり、殺し・殺される場所にいくことがどうして平和に連なるのか、すなおな子どもたちは大人たちの欺瞞にとっくに気づいている。

  世情にならされて大人たちはときにすなおさを失い、本当のことをいうのをためらう。だが、子どもたちはちがう。心(しん)からすなおに言葉を吐く。何よりも大切な言葉を謳う。

  のびのび育つ少年少女とともに、すなおに本当のことを語るのが絵本『せんそう しない』である。

  清冽な谷川俊太郎の詩文がやわらかく強く胸を打つ。同類同種・同類異種の動植物に戦争が生じないことを「せんそうしない」とすなおに言い切り、対象が人間に転じると子どものすなおさと大人のふるまいを語り、区別し詩う。

  表紙に描かれる少年と少女の佇まいが心に沁みこむ。何か郷愁に似た想いを感じてしまうのだ。このふたりが本文でとび跳ねる素朴で明るい動きが、「せんそうしない」の言葉をすなおに際立たせる。江頭路子の絵具材や技巧に凝らない画風が存分に功を奏しているのだと思う。少し、詩文を抜きだしてみよう。

ちょうちょと ちょうちょは せんそうしない/すずめと かもめは せんそうしない
こどもと こどもは せんそうしない/けんかは するけど せんそうしない
せんそうするのは おとなと おとな
じぶんの くにを まもる ため/じぶんの こども まもる ため

   (『せんそうしない』たにかわ しゅんたろう/ぶん えがしら みちこ/え)

 (おび・ただす)

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