絵本のちから 過本の可能性
特別編

「絵本フォーラム」43号・2005.11.10
子どものいる風景
とよた かずひこ(絵本作家)

とよた かずひこ
1947年宮城県に生まれる。早稲田大学第一文学部卒業。二人の娘の子育てを通して絵本創作をはじめる。現在東京都在住。主な作品にうららちゃんシリーズ、バルボンシリーズ等。多数。


 新聞や週刊誌などの報道でご存知の方がおられるかもしれないが、小生の住んでいる東京・多摩ニュータウン内の旧住宅都市整備公団分譲の一部に欠陥住宅が発生した。その一戸がわが家である。
 バブルの最盛期、200倍以上の応募があって抽選、めでたく“当たって”入居した。
 自然環境にも恵まれ、家族4人、快適な団地生活であった。それが10年後の大規模修繕がやってきて、あちこちの欠陥が露呈、躯体全体にも問題があることが判明し、なんと332戸全戸仮転居して建て替えとなったのである。現在は取り壊し中で、竣工まであと3年…。

 この間、長女は結婚して家を出て、次女も来年は就職。私達夫婦も年老いていくのだし、いっそのこと便利な都心に住み換えようと決めて物件探しが始まった。
 広い東京23区内、なんでこんなことせんにゃあかんのかと、公団に恨みをいだいての不動産屋行脚…。
 このご時勢、都心部のマンションはすべてオートロック型式、入口にはガードマンが24時間立っているというマンションもあった。仕事場が高田馬場にある小生は、毎日、ここに帰ってくるとき、ガードマンさんに挨拶しなければならないわけだ。瀟洒な建物、売り主さんも感じがいい、でも何か違う。子どもの声がまったく聞こえてこないのだ。建物全体がシーンとしている。自転車置き場には子ども用自転車があるから、子どもがいないわけではない。日曜日の天気の良い昼間でこの静けさだ。
 「ここ、やめよう…」
 ちょっと乗り気だった女房をたしなめた。
 結婚して最初に住んだのが東京都東久留米市の滝山団地というところだった。典型的な集合団地で、2人の娘はここで育った。当時は自宅で仕事をしていたので、長女が生まれて2歳頃からもっぱら私が公園に連れ出して遊んだ。砂場で、ブランコで、のぼり棒で…娘の友だちがまわりに集まってくれば、彼らをまきこんで遊びがひろがる。
 背中を次々に押してやりながら、即興で作ったいい加減な歌をうたってやるとキャッキャッ喜ぶブランコ遊び。葉っぱを切符にして、団地の沿線、西武線の駅名を言いながら乗って遊ぶ箱ブランコの電車ごっこ…。

 結婚して子どもができるまでは「子どもという存在」にまったく無関心だった自分が、こうも変わってしまったことに我ながら不思議だった。
 今、考えると、現在の絵本創りの素は、ぜーんぶ我が子を含めた子ども達とのふれあいの中にあった。
 朝、なかなか起きない長女を布団ごと払ってごろごろごろんと転がしたところ、「もいっかい、もいっかい」と本人が逆に喜んでせがんできたことは紙芝居『ゴロゴロゴロン』という作品に。前の椅子に次女を、後ろの椅子に長女を乗せて自転車で通った西武線の小さな踏切。車掌さんがわれわれに手を振ってくれたうれしい光景は『でんしゃがくるよ』という作品になった。
 かくれんぼ、おにごっこ、かんけり…いっぱいいっぱい遊んだ。自分の姿を見つけられているのに、目をおおっていれば隠れたつもりになっているという小さな子の感覚を初めて知ったのも彼らとの遊びを通してだった。
 そんな遊びを前述の多摩ニュータウンに移り住んでも続けて通算25年ぐらいになる。
 もちろん我が娘達は立派に成人し、今は一緒に遊んでくれるはずもない。頼りは他人様の子ども達だ。


 「ここにしよう!手付金すぐ払う!」
 同じように欠陥で建て替えがすんだブロックに一戸、空きが出たことを地元の不動産屋が連絡してきてくれた。今まで住んでいたところから歩いて5分と離れていない。いつも遊びに使っている公園からも遠くない。建物が変わっただけでご近所付き合いもほとんど変化なし。公団に売却する価格と、これから購入する費用の差額の捻出にはちょっぴり苦労したが、それよりも子ども達と遊びを続けられることの方が大きな喜びだった。

 「おっちゃん、あそぼう」
 日曜日の午後、5年生のハヤシくんとワタナベくんが誘いに来た。小生はボールやグラブ、手製のベースなどを詰めこんだ紙袋をふたつ持って公園に向かう。途中、子ども達がお互い友達を誘いあって総勢12、13人ぐらいになる。
 さあ、三角ベース野球の開始だ。
 「ボコッ」
 プラスチック製カラーバットにボールが当たる。子ども達が走り、ときには転ぶ。おもしろい。
 外野を守っているとき、ふっと空を見上げた。そうだ、この青空は、自分が小学校5年生の頃、近所のビール工場内の空き地で友達と一緒に野球をしていたときに眺めた空とおんなじだ。
 大人も子どもも、何となく閉塞状況に落ちいっている現在、生きていればこんなおもしろいことたくさんあるんだよ、ということを力づくでも伝えていける楽しい絵本を創っていきたいと切に思う。

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