絵本のちから 過本の可能性
現場からの報告…7

「絵本フォーラム」34号・2004.05.10
絵本と高校生
佐藤 和江(兵庫・県立川西明峰高校司書教諭)

生徒からの一言「絵本、よかった」に思い、考えたこと

 高校2年生の「現代語」の授業で読み聞かせ実習をしたときのこと。
「えー、絵本なんて幼稚だよ」
 まっ先にW君が嫌そうな顔をしました。彼はサッカー部員で、足の速さも授業で眠る早さも(?)誰にも負けないような生徒です。
「何言ってるの。絵本ってすごいんだから。人間にとって大切なことが、子どもから大人まで伝わるように書いてあるのよ。君も10年もしたら読んでやる側になるんだから、心を込めて読む練習をしてごらん」
 私が目の前にドンと絵本を積むと、彼はしぶしぶ手に取りました。何回か授業を経て、級友を前に本番です。W君が選んだのは『いつでも会える』(菊田まりこ/著、学習研究社)。これは亡くなった飼い主を慕う犬・シロの思いが胸を打つ話で、私は読み聞かせるたびに泣いてしまう絵本です。W君はページをめくってぽつりぽつりと読み、席に戻ると黙りこくってしまいました。そして後日、授業の感想を聞くと、「絵本、よかった」と笑顔で答え、校庭へ走り出ていきました。どんな生徒でも絵本が好きなのだと思える出来事でした。
 国語教師を勤め、また自分も子どもを持つようになってから、“絵本の力”というものをつくづく考えるようになりました。胎児は4カ月のころから大人並みの聴力があるそうで、私たちは耳からことばを覚えるようにできています。先日の新聞(毎日新聞3月10日朝刊)に、「日本小児科学会による1歳半の子どもを持つ親を対象にした調査で、テレビやラジオを長時間見ている子どもは、そうでない子どもに比べ、ことばの発達の遅れる割合が2倍になることがわかった」という報告がありました。人間はやはり気持ちのこもった肉声からことばを身につけていくのでしょう。相手とともにいるという体験、そして、ことばというのは人と人をつなぐものだという体験が豊かであるほど、声を離れた文字の世界へも自然に入っていけるようになるのではないかと思います。絵本を読むということはそれらの体験をさせる絶好の機会です。


将来の父親、母親に伝え続けたい 絵本のちからを…

 私には3歳と6歳の息子がいます。フルタイムで働いていますから、迎えに行って夕食・お風呂が済むまでは、どうしても追い立てるように過ごしてしまいます。寝る前までのわずかな時間、それが私たち親子の最も貴重な時間です。
「絵本、持っておいで」と言うと、息子たちは本棚へ飛んでいきます。「これ!」と、それぞれ抜いてくると、私の両脇へ。私は表紙を開くと、なるべくゆっくり読み始めます。不思議なことに、忙しくてどんなにいらいらしていても、ゆっくりと声を出すことによって心までゆったりしてくるのです。息子たちも、兄弟げんかでむっつりしていても、一転して目を輝かせ、宇宙の果てまで大冒険。ふだんは私が読み聞かせるのでが、『三びきのやぎのがらがらどん』(マーシャ・ブラウン/え、瀬田貞二/やく、福音館書店)のように迫力を込めて怖がらせたい話は主人が担当。絵本が終わると、その中のフレーズを口ずさんだり、続きをしゃべり合ったりして眠りにつきます。
 こうして、日ごろ子どもたちと接する時間が少なくても、夜のひととき、私たち一家はともにいろんな体験をしながら過ごせるのです。上の子が字を読めるようになってからは、下の子に読んでやる姿も見られるようになりました。絵本は人と人の心まで結んでくれるものなのだと本当に感じます。
「さあ、絵本読もうか」 「えー、子どもっぽい!」
 今年も学校で生徒から同じ声が上がる中、将来の母親・父親に絵本の力を伝え続けるつもりです。 (さとう かずえ)

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