遊びを仕事する

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運動会と園庭(2)



 私はこれまで、幼・保育園において、集団行動としての運動会は行わず、「毎日が運動会」というような考え方を持った数人の園長先生にお会いし、ご意見を伺いました。一般的な運動会を行わない理由について、その共通する内容をまとめると、次のようなものになります。
1・秋または春の日差し(紫外線)の強いときに、炎天下で長期間にわたって訓練をすることは、身体の健康によくない。
2・園児が1人で行う体育的な種目は一つか二つで、体力強化にはあまり役立たない。
3・マスゲームや表現活動が多いため、個人の体力を無視した訓練がある。また、園児の嫌いなことを強制させるため、好きなことをさせて養うべき「集中力」の指導が妨げられることにもなる。
4・出番の時間より待ち時間のほうががはるかに長く、園児は退屈して席を離れたり、ふざけたりする。これらを監視し、大声で叱ることが先生の重要な指導になっている。
5・保護者が、自分の子どものみに関心を持ちすぎ、競争競技以外のものも含めて、優劣にこだわりすぎる。
 上記のほかにも、まだいろいろ理由はあると思われますが、要するに、園児のためというよりも、両親と、孫を愛する祖父母のための「園主催のお祭り」となっていることに、その問題の本質を見ているからだと思います。

 さて、今年度の超ベストセラー『バカの壁』(新潮社)で養老孟司は、「戦後、我々が考えなくなったことの一つが[身体]の問題です。[身体]を忘れて脳だけで動くようになってしまった」と言っています。さらに、「[個性]は脳ではなく身体に宿っている」「戦時中まで、体を担っていたのは軍隊という存在でした」とも言っています。しかしながら、軍隊が担った身体の強化方法について同氏は、「また軍隊というのは、どういう組織かといえば、とにかく考えずに身体の運動を統一させる組織です」と、その問題点を指摘しています。
 このことから私は、豊かな個性をつくるためには、集団保育ではなく、その園児の「身体」に合った保育が必要であると考えます。そのために重要なのは、「好きなとき」に「好きなもの」で「好きな友達」と「好きな時間だけ」、身体運動(体を使って遊ぶこと)をさせるということです。
 そのことを充実させる場所として、「園舎」「園庭」が必要だと考えます。「園舎」は、人間としての生活をするための共通の了解を学ぶところであり、「園庭」は、自分個人の意思で、または友達とルールをつくって、好きな運動で個性を伸ばすところです。つまり、運動会や遊技や集団ゲームから解放されて初めて、個性豊かな、独創性のある子どもを育てるための、本当の園庭設計が始まるのです。
 「この園の個性ある保育の特徴は、園庭にある」。私は、そういう園が増えていくことを期待しています。

「絵本フォーラム」33号・2004.03.10


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