絵本・わたしの旅立ち
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絵本・わたしの旅立ち
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「絵本とは何か」ということ
 わたしは永い間、多くの学生たちに接してきましたが、いちばん戸惑ったことは、毎年わたしの絵本についての講義に出席していた学生が、一年も終ろうとする年度末に限って、何と、

「絵本とは何ですか」

などと質問してくることでした。
 しかも、それらの学生は講義やゼミに登録している者のなかでも、とりわけ研究熱心な、いわば優秀な若者でしたから、教員としてはガッカリさせられてしまいます。
 彼らとやりとりをしていると、共通に言えることは、どうも辞典にかかれているような、短くまとまった「絵本の定義や概念の説明」を、講義のまとめとして聞きだしたかったようなのです。
 というのは、私が絵本について講義をしたくせに、そういう学生の要望に応えるようなことに、殆ど触れなかったのかもしれません。そういえば、私には抽象的な「絵本の定義」など、どうでもいいことだったのです。
 そんなことよりもステキな絵本が数多くあらわれ、なるべく偏ることなく多くの子どもたちの手にわたること、それを夢み、そしてそれが実現されるよう努力することこそ、絵本を学ぶというのが、私の考えだったといえます。
 もし定義じみたことを知りたかったら、国の内外を問わず、そういうことを真面目に、またモッタイぶって論じたり書いたりしていらっしゃる方が相当おられるわけだから、それぞれ学ぶところを見つけだし、自分なりに納得すればいい、と思っているのです。

絵本は、どのようにして絵本になるか

 私は定義など語る柄でありませんが、絵本が「創り手」から「受け手」である子どもたちまでとどけられる道筋があるかぐらいなら、実作者ですから言うことができます。それには、四つの段階の作り手が、タテ形の系図のように繋って一つの絵本を絵本らしくしているのです。わかりきったようなことですが、それを整理して申しあげると、次のようになります。

■第一次的創造者 かたちのない絵本を、どういうものにするか、はじめて全体的に姿を見せる仕事。つまり絵本作家の役割を果す根源的な創造者。これまでこういう仕事は編集者が考えたり、出版社の意向として、企画者として、一般の読者の前に出てきませんでしたが、やはり独創的な根本の仕事なので、はっきりと存在を認めなければならないでしょう。音楽・オーケストラで例えるなら作曲家と同じ地位にある大切なパートです。

■第二次的創造者 絵本作家が創り出した絵本の内容を具体的に目に見える形にする。わかりきったことですが、絵本では「文章家」と「画家」との仕事です。文章家は作家が創造した世界のなかで、文章でしか表現できない部分や、絵でも表現できるが、文章にして加えると、より効果的になる部分を文章化する役割を果す仕事。そして文章とともに、内容のなかで絵にしか表現できない部分、絵にすることによって内容をより正確に受け手に伝える部分を、画家が絵にする仕事。音楽に例えると、それぞれの演奏家の仕事。この段階がきて、絵本は絵本らしい形をみせます。

■第三次的創造者 姿を見せた絵本(文章や原画)というものを複製する役割、つまり造本です。これで市販される絵本となるわけですが、本は読まれない限り紙屑と同じです。それを最後に

■第四次的創造者 子どもたちに、しっかりと手渡してくれる完成させる人びと。

 今回のシリーズは、この四つの段階の「あるべきすがた」を考えていきたいと思います。新しく造った鈴を鳴らして人に聞いていただくまでの道筋にあたり、わたしがするのは道案内人、川ならば渡し船の渡り守というところです。

「絵本フォーラム」45号・2006.03.10


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