リレー

当たり前の生活とは?
(福岡・こばと共同保育所園長・福井 英二)


写真  最近、子どもたちがその年令の時代を精一杯自分の力で生きてないことを実感します。環境の急激な変化、大人の対応の仕方に大きな原因がありそうです。乳幼児期に大切な当たり前の生活そのものが崩れています。
 食べることで言えば、この世に生を受けてはじめて口にするものを感動をもって大人が受け止めていますか? 食べることを子どもと共有しながら子どもと向き合って食事をしてほしい。赤ちゃんにはしっかり抱っこして食べさせていますか?
 そして、自らの力で食べることを大切にしながら共感し、自立への手助けをしていきましょう。
 私は、世の中が便利になりすぎて子どもにとっての当たり前の生活がしにくくなっていると思います。テレビがあり、紙オムツがあり、レトルト食品があり、車がありという生活が子育てをしにくくしてはいないでしょうか? 決して昔に戻れと言っている訳ではありません。手作りで作ってあげた離乳食をあげたら、あまり食べなかった。次からはちょっときざんでみよう…と失敗しながら学ぶ。子どもが何回もオシッコが出ているのに気づこうとしないのはなぜ?
 歩きながら子どもと一緒に季節感を感じる散歩、子どもにとっての当たり前の生活とは、いったい何なのでしょう。テレビづけの子は、肉声に反応せず、テレビの音など機械音に敏感になります。便利になって家事は随分短縮されてきています。その分、子どもに子守唄を聞かせたり、読み聞かせをしてあげたり、一緒になって遊んだりしてみましょう。口出しは最小限にして共感しあう時間をたっぷりとりましょう。子どもの仲間を見つけてあげるのも大人です。模倣の対象が、近所に少なくなっています。模倣の時期の子どもにとって、悲しいことです。子どもは何でもしたがり屋です。自らで生活をきりひらいていけるよう、見守り続けたいものです。
絵本フォーラム23号(2002年07.10)より

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