たましいをゆさぶる子どもの本の世界

「絵本フォーラム」第38号・2005.01.10
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しょげるしかないけれど…、それでも楽しいんだ。

『ねずみくんのチョッキ』

写真  「かあさんのうた」という愛唱歌がある。♪かあさんが よなべをして てぶくろ あんでくれた…♪、という叙情あふれる唄だ。戦前から歌われているように思う向きもあるが、確か1950年代後半の作品でそんなに古い歌ではない。高校時代、冬の休暇で帰省すると母がよく唄っていたので、ぼくもよく唄った。
 その頃、ぼくの衣服の大半は、母が縫製した。下着類はミシンで、セーターなどは手編みや機械編みで作った。まだ、中・高生の育ち盛りだったので、毛織物は年月を経ると解きほどき洗って色染めをほどこす。母はそれを糸に戻し再生産するのだった。モウソウダケで作った糸繰器で毛糸を整えるのはぼくら兄弟の役目だった。初めて商品としての既成毛織製品を手にしたのは大学進学以降のことだ。だから、セーターやベストを着込む季節になると亡き母を偲んだり、「かあさんのうた」を口ずさむ。
 ところで、ベストと言ったが、ずいぶん最近まで袖なしのこの衣服をぼくらはチョッキと呼んでいた。ポルトガル語に因む呼称が米語のベストにいつの頃からか変わった。アメリカ文化にどっぷり浸かりだす70年代あたりからのように思う。チョッキなんてなかなかひびきの良い呼称だと思うのだけれど…。

 なかえよしを/上野紀子の絵本作品『ねずみくんのチョッキ』はベストセラーでロングセラー。大学美術科で同窓のふたりは私生活では夫婦で、1940年の生まれでぼくと同世代。作品の誕生が1974年だからチョッキの用語使用に合点がいき、少しいい気分になる。
 この絵本、主人公はねずみくんであるが、ぼくにとってはチョッキも主人公と考えたい。
 チョッキの物語はこうなる。ねずみくんにぴったり合ってよく似合うようにお母さんが編んでくれたチョッキ。それなのに、アヒルやおサルやアシカがやってきて「ちょっときせてよ」と言われるままに「うん」とねずみくんは応じてしまう。登場する動物たちはしだいに大きくなってライオンにウマとつづき、チョッキはどんどんぐんぐん伸びる。最後にゾウまでが着込み、チョッキはとうとう紐になってしまう。せっかくお母さんが編んでくれたチョッキは、なんとも情けない格好に…。ねずみくんもしょげるしかない。
 ねずみくんのストーリー。「きせてよ」と寄ってくる動物たちはねずみくんの友達で、みんな悪気があってチョッキを着たわけじゃないし、動物たちは「にあうかな」ととても素朴に楽しんでいたじゃないか。それに、お母さんの編んでくれたチョッキだからみんなも興味を示してくれたにちがいない。それに、ねずみくんには変に断って波風立てることなどできないし…。ねずみくんがそんなことを思っていたら、紐のように伸びきってしまった。ねずみくんはしょげるしかなかった。
 作者世代に育つぼくには、従順さが求められ、諍いを起こすことに消極的なシャイな児童像が一般的であった世代の良くも悪くも良き時代をねずみくんの姿に見るようで心打つのである。

 個性の尊重とともに自己主張や自主性が謳われる今日の児童像と相当に乖離するが、それらの希いが空振りして傲慢放縦に流れ、授業が成立しないほどの状況が露呈される現在の子ども状況を考えるとねずみくんの存在はあたたかくありがたい心持として捉えられるように思う。
 奥付の上部に実は、心憎い配慮がなされている。伸びきったチョッキをゾウさんが鼻にかけて、ねずみくんがブランコを愉しむ様子が描かれているのである。動物たちも心豊かなのである。しょげるしかなかったけれど、それでも友達と交わることは楽しいんだ、ということではないか。
 緑のフレームを全頁に配したグラフィック処理。ねずみくんの大きさはフレーム内の12分の1程度で他の動物との大きさの違いを際立たせ、チョッキの彩色・赤と動物たちの薄墨色の三色だけで描く。この絵本のシンプルさと大胆な白地の用い方は読者の目を奪うはずだ。
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