たましいをゆさぶる子どもの本の世界

「絵本フォーラム」第13号・2000.11
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潜在している「母性」に豊かな刺激を

写真  『広辞苑』によると、「母性」とは女性が母として持っている性格とし、「母性愛」とは、母親が持つ、子に対する先天的・本能的な愛情であるとしている。ところが、昨今のあいつぐ痛ましい母と子の事件の数々は辞典に語義の変更をせまっているようだ。
 我が子をおきざりに遊興にふける母親、我が意を得ないとはげしく虐待を繰り返し死に至らしめる母親、もはや、耳あたらしさもなくなって三面記事の定番ニュースになってしまっている。これらの母親たちの母性、母性愛はどうなっているのか。先天的・本能的とされる母の特質や愛情はもともと存在しない概念であったのだろうか。
 いやいや疑いなく、母となる女性には、まちがいなく母性が備わっているのだという。ただ、潜在的に存在する母性は、母となるためのたくさんの刺激を受けなければ、その母性を顕在化させることが難しいらしい。
 かつての日本では、我が家だけでなく隣近所・地域全域に「母」の姿があった。乳を授け、子守唄を唄い、昔話を語り、ときに怒り、ときになぐさめ、愛情を交歓し共有する母子の光景に満ちていた。祖父母に兄弟姉妹、みんなが母の愛を享受し、母とは何たる存在であるのか、たくさんの幸せな刺激を自然に受けてきた。かくして母となる女性はたしかな「母性」を持つことになった。
 核家族に少子化、モノの豊かさだけを求める価値観を支配的にした現在社会の病弊が、潜在する母性を顕在化させない要因となってはいないか。
 母性の顕在化させる有効な刺激に子の語りかけがある。おなかに子を宿してすぐにもスタートできるのが我が子への語りかけだ。その語りかけに絵本を読む、というのはどうであろうか。絵本のすばらしさは、母親が育児に負担を感じてしまったら子はたまらない。母に迷惑な存在として扱われるのであるから不幸このうえなしとなるにちがいない。母子ともに楽しくいきなければならないのだ。
 『ぼくにげちゃうよ』(M・W・ブラウン)という58年も前の1942年に誕生した絵本がある。現在でも世界30数カ国で読み継がれている不朽の名作である。ウサギの母と子のおはなしで、母の愛に包まれて育つ子ウサギが、冒険心を漲らせてお母さんウサギから逃げ出すことを画策する。だが、何度試みてもお母さんウサギが追いかけてくる、という母子のどこまでも深く、あたたかい情愛をとてもシンプルに描きあげた作品だ。  お母さんウサギの語る「おまえがにげたら、かあさんはおいかけますよ。だっておまえはとってもかわいいわたしのぼうやだもの。」
 このフレーズは顕在化した「母性」の豊かさ、すばらしさを見事に表現している。
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