たましいをゆさぶる子どもの本の世界

「絵本フォーラム」第27号・2003.3.10
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作り食べる食のたのしさ・うれしさを
教えてくれる暖かい本

『しろくまちゃんのほっとけーき』

写真  材料は小麦粉に牛乳、たまご、砂糖、ふくらし粉。ボールのなかでよーくかき混ぜたこれらの材料を、ふらいぱんに「ぽたあん」と流し込み、「どろどろ」「ぴちぴちぴち」「ぷつぷつ」「やけたかな」「まあだまだ」「しゅっ」「ぺたん」「ふくふく」「くんくん」と展開させて、「ぽいっ」と浮かしてお皿に盛って「はい できあがり」。“ほっとけーき”づくりをお母さんと楽しむしろくまちゃんのお話しのひとコマである。
 二歳八ヶ月の孫は、この見開きページに12展開される擬音・擬声にそって描かれた製造過程の場面に食いつく。つい、先刻まで、部屋の造作をいじくり回し、始末のおえないヤンチャを働いていたはずだったのに…。
 “ほっとけーき”。あたたかくて、やわらかくて、なんともひびきがよい。だが待てよ、と思う。ぼくが“ほっとけーき”に出会ったのは何時のことだったか、と考えてしまうのだ。ぼくの幼児・学童期には、まず“ケーキ”なる言葉はない。もとより外食の習慣がなかった地方の土地柄から、余程の富裕層でなければ“ほっとけーき”の存在を知らなかったにちがいない。たまに、母が小麦粉を水と塩で捏ね、ふくらし粉をまぜて焼き甘味の無いパンを作ってくれたが“ほっとけーき”とはほど遠い。それでも、母が炊事場(キッチンなる言葉もなかった)に立つと、母の周囲をウロウロしながら期待に胸をふくらませた。おそらく、はじめて“ほっとけーき”を食したのは上京して学生生活を始めた昭和30年代も後半の喫茶店であったように憶う。だから、わが子や孫たちが、その存在に何の慮いを持つことなく食しているのを不思議な光景として捉えてしまう自分がときに居る。
 現代に育つ子どもたちは豊か過ぎる食環境のただなかにあり、うっかりすると食に犯される。しかし、しかし、孫守りを重ねながら思うのだけれど、子どもたちは食には貪欲だ。お菓子ともなると、心ここにあらず、となる。がまんさせるか。妥協するか。せめて、玩具や絵本の遊戯に持ち込みたいと想う。
 30年来、子どもたちの心を奪いつづけるお菓子の絵本が冒頭の『しろくまちゃんのほっとけーき』だ。この絵本は森比左志/わだよしおみ/若山憲の3人の著者を持つ。教育者と劇作家と画家の3人でアンカーマンとして仕上げたのが画家のわかやまけん。明瞭でシンプルな楕円形を組み合わせた描線はあたたかい。明るく対抗色で配色された色彩が目を掴む。これ以上削ぎ落とせないほどに整理されたことばはBGMとして秀逸ではないか。「絵本設計」が傑出しているということか。食するうれしさ、創造への興味、創りへ参加する魅力というソフトを、すてきな絵本造形というハードに納めている。
 何度も何度も読み返す(絵も読む)といい。子どもたちを捕らえて離さないこの絵本の持つ生命力がぼくら大人たちにもよく解ってくるはずだ。
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