しおのはなし

〜 新シリーズ・食育 〜
 絵本は子どもの心を育てる大事な栄養素。それと同じように、私たちの体にとって大切なもの、
「塩」のお話をしましょう。

命の源『海』
 むかしむかーし、そのむかし……。今から何十億年も前のお話。広い宇宙の中の地球という小さな星の海の中で、初めての生命が生まれました。
 ある日、何かの偶然で生まれたカビのような生物は光合成を発明しました。光合成から酸素が生まれ、地球の周りにオゾン層がつくられて、お日様からの強い紫外線を防いでくれるようになりました。
 そして、生命は海から陸へ上がることができるようになりました。初めは藻のような生命が陸地にしがみついては枯れ、しがみついては枯れして、そのうちに次の生命が生まれ、やがて植物になりました。
 そうすると今度は、植物を分解する菌が生まれ、それがたくさんの年月をかけて動物になりました。分解された植物は土になり、植物がつくったエキスは海に流れ込んでいきました。海は少しずつしょっぱくなり、その中で背中に骨のある生物(脊椎動物)が生まれたと言われています。そして、またたくさんの年月がたって、私たち人間ができ上がりました。
 でも、本当のところはだれにもわかりません。だれも見ていた人がいないからです。ところが、この数十億年の時の流れを私たちに教えてくれる不思議な真実があるのです。

お母さんの中の「海」

 お母さんのおなかの中には、小さいけれど豊かな海があるのを知っていますか? それは「羊水(ようすい)」というものです。お父さんとお母さんの命が結びついて、小さな一つの細胞として生まれた私たちは、その温かな羊水の中で300日近くを過ごします。細胞は分裂し、お魚やイモリのような形になったり、鳥みたいになったりして、最後に人の形になって「オギャー」と産まれます。
 羊水は薄い塩水です。塩分濃度は約1%。それは海の中で脊椎動物が生まれたときの海の塩分濃度と同じなのだそうです。
 潮風に吹かれたり、海にゆったりと浮かんでいると、不思議に心が落ち着いたり、懐かしい気持ちになるのは、お母さんのおなかの中で過ごした時間を思い出すからでしょうか。もしかしたら、私たちの細胞の一つ一つが、生まれた場所を覚えているからかもしれませんよ。

病気になったら「海」へ

 私たちの体の中にある水も羊水と同じぐらいの塩分を含んでいますし、体をつくっている成分はみんな海に含まれています。それは海が私たちのお母さんだからです。
 お医者さんやお薬がなかった時代、人々は病気を治しに「海」に行きました。「海水浴」は、今では楽しい夏の遊びですが、もともとは世界各地で行われていた治療法です。私たちの国でも、昔は「潮浴(しおあみ)」や「潮湯治(しおとうじ)」をしていました。
 海は体の中の汚れをきれいにしてくれる……。そのことを昔の人はちゃんと知っていて、上手に利用していたのです。

おじさんたちが「塩づくり」を始めたのは……

写真  九州の中ほど、四国に向かい合ったあたりに大分県南海部郡米水津(みなみあまべぐんよのうづ)という小さな村があります。リアス式の入り組んだ海岸と、海の際まで迫った原生林。ピーロロローと鳴き交わしながらゆっくりと輪を描くトンビの群に、時折、上空からタカが急降下してきます。
 黒潮が流れ込む美しい海は豊かな漁場で、アジやブリ、イセエビなどがとれます。間越(はざこ)もそんな漁港の一つ。夏には海水浴場にもなり、スキューバダイビングの穴場です。
 この浜で「塩づくり」に取り組んでいるのが、那波君仁夫さんと古閑旭さんの2人のおじさん。漁港のすぐそばにある不思議な塩田(?)を訪ねると、真っ黒に日焼けした那波さんが笑顔で迎えてくれました。
 42歳のときに糖尿病になったのをきっかけに、「本物の食べ物とは」「自然治癒力とは」と考え始めた那波おじさん。大分のお百姓さん(今は差別用語として公の場では使わない言葉ですが、ここでは尊敬語として使います)、赤峰勝人さんという、これまたおじさんに出会いました。赤峰おじさんの「体は食い物でできちょる」という言葉がストンと懐に入ってきました。
 以前は鉱山関係の下請けをしていた那波おじさん。「これまで自然をぶっ壊して銭を追いかけてきたから、これからは何か世の中の役に立ちたいなぁ」。たくさんの人とかかわり、勉強するうちに、体にとって大切なのはミネラルのバランスだと気づきました。そして、この世界にあるミネラルのすべてを含み、命のとおりのミネラルバランスを持つもの、「塩」に行き着いたのです。
 大分市で会社経営をしていた古閑おじさんも、「金儲けには疲れた。自然に帰りたいよ」と塩づくりへ。実験と味見を重ねてでき上がったのが「なずなの塩」。大分の海にこだわってたどり着いたのがこの場所でした。
 「なずな」は春の野っぱらに咲く小さな白い野草で、花言葉は「すべてをあなたに捧げます」。その名のとおり、力強くて優しい塩ができ上がりました。
 設備の大半が手づくり。当初は売るつもりもなく、病気でいい塩を探している人たちに分けていましたが、6年目の今は年間で14〜15トン(約2000人分)を生産するようになりました。
 おじさんたちのテーマは、頑張らないこと。「塩は海やお日様や風がゆっくりつくってくれるからね」と那波おじさんは穏やかに笑います。

 ところで、お塩ってどうやってつくるか知っていますか? 次回はそんなお話をしましょうか……。

「絵本フォーラム」39号・2005.03.10


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