私的絵本年代記

*第3回*
からすたろう −1−


 学校教育相談の仕事をしていた時期に出会ったのがこの本です。カウンセラー訓練の中で、共感的理解とか相手に対する絶対的信頼とか、言葉だけが素通りするようで苦しい思いをしていたとき、この本はものも言わずにそんなもやもやを払いのけました。
 最初のページを見開き、黄色いいた壁の校舎、暗い床下からこちらをうかがっている小さな1年生。


写真  ぼくたちが むらのがっこうにあがったはじめての日のこと、男の子がひとりいなくなっていました。その子は、きょうしつのゆかのしたのくらいところにかくれていました。

 だれもこの子をしりませんでした。その子は、とても小さかったので、ちびとよばれるようになりました。
 この おかしな 男の子は、先生をこわがって、なにひとつおぼえることができません。
 クラスの子どもたちともちっともともだちに なりませんでした。
 そのうち、ちびは やぶにらみの目つきを するようになりました。そうすれば みたくないものはみなくても すむからです。


 この子は遠い山の村からたったひとりで通ってきています。床の下しか身を守るところがないのです。頭が悪いわけではないのです。そんな彼にまなざしを向けない先生やいじわるをするともだちに取り囲まれて、どうして算数や国語に身が入りましょう。そういう緊張から自分を解放して、自分だけの世界に入るすべを見つけます。それを武器にして自分の想像力を豊かに膨らませていきます。みごとな適応能力ですが、こういう子どもの内面の戦いに、思い及ぼすことがあったでしょうか? しばらくこのページから目を離すことができませんでした。やがて、この少年は新しい担任と出会います。

 いそべ先生が、あたらしくうけもちになりました。先生は、にこにこしていて、したしみやすい 人でした。
 いそべ先生は、がっこうのうらのおかの上に、よく子どもたちをつれていきました。
 ちびがのぶどうや山いものあるところをよくしっているので、先生は、とてもごきげんでした。

 先生は、ちびが かいた白黒のえが だいすきで、みんなにみせるためにかべにはりだしました。


 いそべ先生は、この少年の生きる知恵に感動し、そのことを「ぼくは、君の力をすばらしいと思うよ」というメッセージとして、少年の作品を教室に張り出します。担任の先生がこの少年をどのように見ているか、すぐクラス全体に伝わります。おそらく、今まで一度もこの少年の絵や文字が、評価を受けたことはなかったでしょう。
 そして…
    ―次号へつづく―

「絵本フォーラム」28号・2003.05.10

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