ほるぷフォーラム出版『絵本で子育て』に掲載されています。

子どもの悲鳴が聴こえますか

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目に見えない虐待

 現在、子どもたちの〈育ち〉に起こっている歪みについて、いくつか事例をお示ししました。そしていま、私たちが暮らしている社会においては、このほかにもさまざまな歪みが生じ、そのなかで子どもたちは声にならない悲鳴を上げているのです。
 その歪みは、「現代社会の変化」という漠然とした理由によって、自然に生じてきたものではありません。だれかによって生じさせられているのです。いったいだれによって引き起こされているのでしょうか。
 社会?地域?学校?いえ、そうではありません。まず、子どもが生まれたときから、最も身近にいる存在……。そう、私たち親なのです。
 私たちはそれを、決して悪意をもってやっているわけではありません。子どもにテレビを見せること、塾に行かせること、それらは現代において〈当たり前〉の生活であり、子どもたちのためを思ってやっていることなのです。しかし、私たちはその〈当たり前〉の生活を通して、「子どもたちのため」という意識を通して、知らず知らずのうちに子どもたちの〈育ち〉を歪め、彼らに悲鳴を上げさせてしまっているのです。
 知らず知らずのうちに……。それが最も恐ろしいことです。子どもたちの心の悲鳴は、「聴こう」という意識をもたないかぎり、決して聴こえるものではありません。その歪みは、けがをして血が出るというように、表面からはっきりとわかるものではないのです。
 しかし、その歪みは子どもの心を確実にむしばみ続け、いつかとりかえしのつかないかたちで、突然、表面に現れるのです。
 最近、子どもの虐待という悲しむべき事件が増えています。子どもが全然なつかない、ずっと泣いていてうるさい、それだけの理由であざができるほど強く叩いたり、二メートルの高さから落として殺したり、熱湯をかけて殺したり……。
 しかし、そういうことだけが子どもに対する虐待ではないのです。私たちが知らず知らずのうちに子どもたちの心に与えてしまっている、〈目に見えない虐待〉とでも言うべきものがあるのです。
 表面的には愛情たっぷりにかわいがっている。いつも子どものためを思っている。だけど、子どもにとって本当に大切なことを見失ってしまっている……。そんな親が増えているような気がします。
 そんな、本当に大切なものを失ってしまった〈愛情〉によって、子どもたちの心は大きく歪められ、傷つけられています。そして、その苦痛に耐えかねて、子どもたちは声にならない悲鳴を上げているのです。それが〈目に見えない虐待〉、子どもたちの心への虐待なのです。
 私たちはいま、子どもたちにとって本当に大切なものとは何かということを見極め、それにしっかりと向き合っていかなければならないのではないでしょうか。

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