情報紙『絵本フォーラム』で10回連載予定の『ほるぷフォーラム紙上絵本講座』です。

子どもの悲鳴が聴こえますか

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〈当たり前〉の生活
(私たちとテレビ 1)

 私たちは、現在の豊かな生活を〈当たり前〉のものとして享受しています。そして、その豊かな生活の代表として挙げられるのは、やはり〈テレビ〉ではないでしょうか。いまや私たちの生活に欠かせない存在となったテレビについて、少し掘り下げて考えてみたいと思います。
 テレビは1953年に放送が開始されました。もちろんそのころは、テレビのある家のほうが珍しいという状況でした。それが、いまの天皇がご結婚されるときに日本全国に爆発的に普及し、その後、東京オリンピックなど、いくつかの大きなイベントを経ながら、急ピッチで家庭のなかに定着していったのです。
 そんなテレビの急速な普及の背景には、当時の日本経済の事情が大きくかかわっています。その当時の日本経済は、電気製品をたくさん売ることによって支えられていました。国の政策として、電気製品の分野に重点的に力を入れた時代だったのです。とくにテレビは、当時の日本経済を引っ張る大きな牽引役であり、日本が欧米並の豊かな生活を実現しているということを示す象徴的な存在だったのです。
 いまやテレビは、家に1台、2台あるのが当たり前。ない家のほうがよほど珍しいぐらいに普及しています。もはや「要る・要らない」という選択の余地なく、家具の1つとして家のなかにセットされている時代なのです。
 しかし、そういう環境のなかで育つ子どもたちの身体と心に、大きな悪影響があるということが言われています。1958年から1960年にかけて、文部省(現・文部科学省)が、テレビが子どもに与える影響について調査しています。すると、テレビをよく見る子どもには悪い影響が出るという傾向が現れました。ところが文部省は、2〜3年、その調査結果を公表しませんでした。それによって、テレビの普及に陰りが差すことを恐れたのです。
 何かを選択するということは、片方で、何かを捨て去らなければならないということです。日本は、経済がどんどん発展する道を選択し、一方で、子どもたちの健全な〈育ち〉を捨て去ってきたのです。そしてそれは、日本社会の選択であると同時に、現代に暮らす私たちの選択でもあるのです。
 現在、私たちにとってテレビのある生活は〈当たり前〉のものとなりました。そして、あまりに〈当たり前〉となりすぎた結果、それが子どもに与える悪影響について、私たちはもはや真剣に考えようとはしません。そのツケが、今まさに子どもたちの前に、嵐のように吹き荒れており、その〈育ち〉に歪みを生じさせる大きな原因となっているのです。
 私たちにとって〈当たり前〉となっている生活に、そのような時代背景があるということにも目を向け、その意味を少し考えていただきたいと思うのです。

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