書評 絵本講師が読む


〜絵本フォーラム第98号(2015年01.10)より〜

藤井先生に褒められた気がする

『子どもに絵本を届ける大人の心構え』を読んで。

NPO法人「絵本で子育て」センター

上甲 知子(絵本講師) 

絵本講師 上甲 知子

藤井先生に褒められた気がする 

 子どもは、子どものときにしかできないことを存分にするべきだ。子どもには、する権利があるし、親にはさせる義務がある。言葉にして意識していたわけではないが、自分の16年の子育てを振り返って、なにを大事にしていたかと言えば、1つには、子どものときに体験すべきことを体験させることである。といっても、そんなに大げさなことではない。流れる小川に石をぽちゃんと落とす。ぽちゃん、ぽちゃん、ぽちゃん、ぽちゃん……。気が済むまで待つ。はだしになって休耕田を駆け回る(これ、真似してみたが、足の裏が痛くてできなかった。長男の足の裏の皮は非常に分厚くなっていた。はだし生活の賜物)。網とバケツとおにぎりと水筒を持って、ザリガニやドジョウをつかまえにいく。きれいな葉っぱや石や棒やタイルを拾う。描きたいと思ったときに、すぐ絵の具で絵が描けるようにする。「絵本を読んで」と言われたら「はい!喜んで!」と読む。

 たわいもないことだが、親の覚悟と根気と体力がないとできないかもしれない。だって、石を落とすのは永遠かと思われるほどしつこく続く。夏は暑い。冬は寒い。玄関には薪か?というほど棒がたまり「捨てちゃダメ!」と怒られる。どんなに新聞紙を広げても、壁や床に絵の具がはみ出る……。
子どもに絵本を届ける大人の心構え
 はっきり言って「めんどくさい」と思ったら、子どものときにしかできないことに親がつきあうことはできない。保育方針によっては、保育園や幼稚園で体験できるかもしれないが、逆に考えれば、子どもがいるからこそ、親も楽しめるのだ。イライラすることもある。つきあえないときもある。親には親の都合がある。でも、できるときには親の義務を果たしたいと思う。

 わたしは、藤井勇市先生が好きだ。この本を読んで、わたしは自分の子育てを藤井先生に褒められた気がした。大好きな先生から褒められると嬉しい。  この本の中で、藤井先生はこうおっしゃる。

 「子ども時代」には大人になる準備をするのではなく、二度と訪れることのない「子ども時代」を生き(き)ることが、子どもにとって何よりたいせつです。親はそれを保障するために(のみ)存在するのです。

 わたしの子育ては、このことを最大限、重要視してきた。塾にも行かせない(本人が望むなら考える)。英語を勉強するのは、必要に迫られてからでいい(母国語が英語の恋人を作るのがいちばん手っ取り早いと思う)。無秩序にスマホやケータイを持たせない(高校生になったら、さすがに与えざるを得なくなったが)。利益回収は、まったく考えていない。そもそも、子どもに投資という考えはない。子どもに対してさえ、対費用効果とは恐ろしい。石を落とし続けることに、どんな意味があるのか?それはわからない。けれども、そうしたいという子どもの気持ちは大切にしたい。だって、大人になったらできない、石を永遠に落とし続けることなんか。「いま」しかできないことを大事にしたい。

 また、ブームとなっている「読み聞かせボランティア」についての藤井先生の厳しいご指摘には、胸のすく思いがする。読み聞かせボランティアをされている方には、ぜひこの本を読んでもらいたい。読み聞かせが自己満足になっていないかどうか、自分の活動を顧みるきっかけとなるからだ。者その人の人間性の反映であることを実感する。これはおそらく、絵本の読み手にも同様のことがいえるように思う。

 読み聞かせの場では、年齢の低い子どもは正直だから、つまらなければ騒ぎだす。修行だと思う。場数を踏んで、そのとき、そのときを真剣勝負で挑むしかないと思う。そのときを共有できたことに感謝の気持ちを忘れないようにしようと思う。わたしは、「読み聞かせボランティア」を生涯続けたい。賞賛、感謝をもらうためではなく、自分が楽しいから続けたい。

 藤井先生がおっしゃった言葉を、わたしはいつも大切にしている。「絵本を読むことは、その人の全人格がにじみ出ること」―わたしはこれからも、子どもの前で、全人格をさらけ出し続けるのだ。そのときに、恥ずかしくない自分でありたい。
(じょうこう・ともこ) 

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