こども歳時記

〜絵本フォーラム96号(2014年9.10)より〜

心に好きな詩を一つ

 季節の訪れを真っ先に告げるのは、風だとも空の色だとも言われるが、韓国の詩の絵本『とんぼ』(チョン・ジョンチョル/詩、イ・グヮンイク/絵、おおたけきよみ/訳、岩崎書店)に出会ってから、季節による光の変化に心惹かれるようになった。
 夏の間さかんに活動していた生き物たちは、季節の移り変わりとともに命を終えていく。秋のある日、野原の花の下で死んでいたとんぼ。ありによって行われるとむらいの列。《たるらん たるらん》という韓国の野辺送りの葬列の鈴の音の響きが、この絵本の絵とともに心を離れない。1925年に当時14歳だった作者が書いたというこの詩は、それだけで快い衝撃を与えるが、絵本としてもすばらしい。私たちが先人から受け継いできた財産は、子ども達にきちんと手渡していきたいと思う出会いである。
 『韓国現代詩選』(茨木のり子/訳編、花神社)のあとがきによると、韓国の人の詩への思いは熱く、書店の詩集コーナーは若者でにぎわい、自分の好きな詩人の、さらに好きな詩だけを集めた自分だけの詞華集を作ることも盛んなのだそうだ。私たちの身の回りにも、詩の言葉に触れる機会がもっと増えればと思う。
 幼い子どもにとって、もっとも素直に詩に親しむ土台となるのは、季節を感じること、自然に触れることではないだろうか。どんな子どもも、自然のなかでは自ら遊びを見つけ出すという。石垣の間にするりと消えるとかげの背の色や、木々の梢をざわつかせて渡る風の気配。肌で感じる驚きや発見が、子どもの感覚を磨いていく。放っておいてもそれが実現した時代と違って、今は少しばかり大人の手助けが必要かもしれない。そこに、親子の会話とふれあいが生まれるとしたら、さらに幸せなことであろう。
 そうして子どもは、いつか目に見えないものや触れられないものも、感じ取ることができるようになるだろう。それはまた、詩を感じることのできる心でもある。
 絵本と同じく、出会い方を間違わなければ、詩の嫌いな子どもはいないのではないだろうか。心に好きな詩を一つ持っていることは、人生を照らす灯りを胸に点していることのように思われる。やがては、彼らが心の深いところへ降りていくように、自分にとって特別となる詩に出会えたらと願う。
 秋の日差しのなかを、とんぼのとむらいは続く。《たるらん たるらん》と鈴は鳴り、私は、死もまた光のなかにあるのだと知る。光の粒は一面に満ちて、北原白秋の詩「金の入日に繻子の黒」の葬列なども思い起こされ、秋の情景は、ゆるゆるとどこまでもひろがっていくのである。
(なかむら・ふみ)


中村 史(絵本講師)絵本講師・中村 史

どれがぼくかわかる?
『とんぼ』
(岩崎書店)

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