たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第88号・2013.05.10
●●77

圧倒する歌声は歌い語る物語を持つ…

マリアンは歌う』

 四六時中音楽のある現在。しかし、日常でクラシック音楽をたのしむ人々は一部であり多くは関心を持たない。若者はポップスやヒップホップにジャズなどに執心し、児童も流行りのJポップスをハミングする。わらべ歌や童謡も幼児期のいっときだけで忘れられる。そうだよなぁ、かつて学生街で散見した名曲喫茶はどこかへ隠れてしまった。
  戦後復興期の1940年代半ばから50年代、南九州で育ったぼくは祖母や母親の唄う童謡を聞きながら過ごす。昔話や民話も彼女らの素語りで聞いた。モノのない時代、祖母や母の語りや歌は、結構な贈物だったのではないだろうか。で、そこに因があるかどうか、合唱団に入り市や県のコンクール出場まで果してしまう。当時の少年としては案外音楽に親しんでいたのだと思う。
 57年だったか、わが田舎町にバリトン歌手の畑中良輔がやってきた。クラシック音楽の何たるやも知らない中学生のぼくはただ驚嘆するばかり。どうしてこんな声がでるのか。力強さと美しさ併せ持つバリトン歌唱の音量・音色が、五臓六腑に染み込んだ。うまく言えないが、聴衆を圧倒する音曲は聴き手に向けて歌い語る強い物語を持っていた。
 マリアン・アンダーソンを知っているだろうか。彼女も物語を唄い語る歌手ではなかったかと思う。伝記絵本『マリアンは歌う』がそんな彼女の人生を語る。
 父親が着替えながら歌う朝、母親は台所でハミングする。どんな家庭かおおよそ想像はつくというものだ。だから、マリアンも妹たちと何かにつけて歌う毎日だった。
 マリアンの声は低音コントラルト(アルト)からメゾソプラノに迫る3オクターブの音域を持っていた。だから、6歳で入った少年少女聖歌隊ではコーラスからとびぬけてしまう特異ぶり。音楽ジャンルはまったく違うが美空ひばりもそんな驚異の声を持つ天才歌手であったと思う。しだいにマリアンの図抜けた声は教会や黒人社会で評判となる。
 マリアンは1897年のフィラデルフィア生まれ。奴隷だった祖先を持つアフリカ系アメリカ人だ。アメリカ社会がこの出自を理由にマリアンの前に立ちはだかる。リンカーンが1862年に奴隷解放宣言を発したが、アメリカ社会の人種差別は根深く残りつづけたのだ。入学を拒否する音楽学校、コンサートのホール使用を断る大学。肌の色がちがうというただそれだけの不条理な理由で…。
 マリアンだって度重なる差別に深く傷つく。当然のことだ。しかし、家族や彼女の歌を愛する人々に支えられてマリアンは耐えた。マリアンは歌を学び歌に徹することで耐えた。目をつむり全身で歌い込む彼女の歌は人々を魅了した。歌を待つ人々がいれば不都合をかこつ会場にも飛び歌い、より深く歌を理解するために多言語も習得する。歌に徹し歌を鍛え、マリアン自身を鍛えた。歌の力がアメリカ社会を少しずつ動かすこととなる。
 音楽活動を広く欧州にも求めたマリアンは、差別されることのない欧州で激賞されてアンコールの嵐に会った。オーストリアではあのトスカニーニに「あなたのような声は100年に一度しか聞けない」と言わしめた。
 アメリカではエレノア・ルーズベルト大統領夫人がマリアンへの差別に怒る。で、政府を動かしリンカーン記念堂でのコンサートを実現させる。その日は復活祭の日、民主主義を根付かせようとする人々の決意の大きさを感じるではないか。
 歌のことばを自分の血肉と化して心を込めて歌うマリアンはやはり目をつむった。歌は、不世出の彼女を表現する物語だったのではないかとしみじみ思う。
 絵本は、讃辞や饒舌を徒に持ち込まない抑制のきいたテキスト筆致と、硬質な描線に深いセピア色のイラストで伝記作者たちの透徹な想いが伝わり印象に残る。

『マリアンは歌う』(バム・ムニョス・ライアン/文、ブライアン・セルズニック/絵、
もりうち すみこ/訳、光村教育出版)

前へ次へ