こども歳時記

〜絵本フォーラム82号(2012年05.10)より〜

こころよきこと こころ楽しきこと

 風薫る季節。深呼吸をしながら歩く。息子たちが巣立った今、時間は充分ある。家路を急いで息子たちの予定に合わせて家事をする必要も無くなった。電車のひと駅は歩く。車窓に流れる見慣れた景色を、ある時は、気の向くままに歩く。
 その時その時で、目を留め心が向くものが違って楽しい。「直子さん」と呼ばれたようで目を向けると、小さな可愛い花が咲いていた。
 見ていると思っていたものが全く見えていなかったことに愕然として、何も見えていなかった時の自分の気持ちと向き合いながら歩く。
 行く時と帰る時では、同じものが別のものに見えたりもする。
 微かな音に足を止めて耳をすましてみる。植え込みの中にやわらかい土を見るとダンゴ虫を探す自分に気づいて苦笑いする。遠い日、いつもお決まりの植え込みに通ってダンゴ虫と遊んだ次男を思い出すのだ。新しい発見や驚きや郷愁が私を歩くことに誘う。
 建築家の安藤忠雄氏がいつか「散歩は心の散歩」と言っていたことを思い出す。
 心のまま目を向け、耳をすますと、景色の色がきらりと輝くように感じる。

『ロージーのおさんぽ』(パット・ハッチンス/さく、わたなべしげお/やく、偕成社)は、ことば以上に絵が語る、絵を読む代表的絵本。
 雌鳥のロージーがのんびりとおさんぽする。後ろからキツネが狙っていることも知らないで、尾羽を振り振りのどかな農園をおさんぽすると読んでいた私。
 それがある時、おさんぽしているロージーのくちばしがツンと上を向いていて「私は知っているのよ」と私に話しかけてきた。
 「えっ、これって計画的?」と思いながら絵本の絵を見れば、ドンドン新しい発見がある。「ヤギさん、あなたも知っていたのね、カエル君たちもことりさんも」と……。
 あ〜あ、絵を読むとは、こんなに楽しく愉快なことなのだと新鮮な経験。ひとつの絵から次から次に想像の世界が広がっていく。
 ことばが少なく絵が物語る絵本ゆえの想像の世界の広がりだろうか。

 大人は、絵を読むことが子どもに比べて苦手だと聞く。私も絵は読めないと思っていたが、今、心の底から絵が読めた悦びを感じている。何を今更と多くの方が笑い呆れても、ロージーと心を通わせた瞬間を思い出すと心が躍る。
 目を留め、心を向けると路傍の花が私を呼ぶように、絵本の絵もこちらに話しかけてくれるのだと思う。ロージーと私の会話が生まれた瞬間、絵本の世界が今までと全く違ったものに見えた。今を生きる、純粋な目と心でものを見る子どもたちは、絵本の世界で言葉を交わし心の向くまま歩いているのだろうか。子どもが絵本の中で見る景色、感じる風は何色だろう。
 そんなことを考えながら今日も歩く。空を見上げ、風を感じ、土を踏み、小さきものの命を思いながら歩く。全てがあるべき姿であるべき場所にあることを感じながら、心を、耳を、目をすまして歩く。また絵本の絵が私に話しかけてくれる時を楽しみに待ちながら、子どもの頃の心をとりもどせるように、風薫る日も、雨の中も私は歩く。

       
        
内藤 直子(ないとう・なおこ)


『ロージーのおさんぽ』
(偕成社)

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