たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第82号・2012.05.10
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行列のできるパン屋さん。その人気のひみつとは。

どんぐりむらのぱんやさん』

 早朝そして夕暮れ時の散歩の伴が逝く。犬齢16歳5カ月。罹りつけの獣医によれば人間ならほぼ90歳になるという。大往生である。
 晩秋から早春にかけて早朝五時からの散歩道は暗い。街路灯が途絶えるとほとんど闇となる。そんな道を永く同道してくれた伴はもういない。さみしさ募るが、今は動物霊園に眠る伴の冥福を祈るばかりだ。
 真暗な散歩道に、そこだけあかあかと灯を照らす一隅がある。件の伴はそこにさしかかると鼻を鳴らした。一隅からただよう甘い香ばしい匂いや香りに反応していたのである。

 匂いや香りの主は手作りパン屋さんだ。昔むかしの少年期、泊めてもらった友人宅の隣が豆腐屋で早朝三時に操業を始めてびっくりし起こされた。そののち学生期にアルバイトで経験した魚市場など早朝始業の職業が多いことを知る。パン屋さんの朝もおどろくほど早い。朝四時には仕事にとりかかり七時には焼きたてパンを店頭に並べ客を迎える。世の中には、昼から夕からと昼夜を逆転した時間にとりかかる仕事もある。少々早いが、お天道さまを迎え待つように始業するパン屋さんなど、自然の理にもっともかなう生業ではないか。

 いつのころからか、手作りパン屋さんが大はやり。地域に根ざして生業とし、多くは防腐剤なしで独自の味を生み出して住民の常食として親しまれている。
 絵本「どんぐりむらのぱんやさん」も村に根ざすパン屋さん。こっぺとくっぺ兄妹のやさしいパパとママが製造から販売まで切り盛りする人気のパン屋さんだ。もちろん、夜があける前からパパとママはパンづくりに励み、朝陽がのぼるころには客に応じはじめる。それだけではない。パパはパンを焼きつづけ、ママは子どもたちの食事の世話をし保育園へと送りとんぼ返り。一家で営むパン屋さんの朝は忙しいのである。
 新聞記者が取材に来るほどの人気のパン屋さんだから、いつもお客の行列ができる「どんぐりむらのぱんやさん」。絵本はその人気のひみつをやわらかく語る。おいしいだけでは飽きられるパン。パパやママのパンづくりへの情熱や工夫の積み重ねが新種のパンを生み出すのだ。テキストはけっして実用記述でなくストーリー愉快に物語られるのだが、パンづくりの工程は、調理具から材料、手順にいたるまでしっかり描かれる。
 ときに、パパの新種開発がままならない事情から、こっぺやくっぺとの遊園地ゆきの約束が守れなくなる出来事も起こる。どんな仕事であろうと厄介な現実にぶつかることは一再ではすまない。だから、やさしいパパだって約束を破る。仕事の実際はきびしい。生活の中の仕事の位置を描いたのは作者の意図したことだろうか。
 物語の起承転結もさわやかである。約束を守らせようとこっぺやくっぺ兄妹が両親の就寝をまってパンづくりに挑戦、巨大なパンを焼き上げたことから、アイデアを掴んだパパが新種のどんぐりパンを開発する。そこで、またまた人気を得て「どんぐりむらのぱんやさん」は大繁盛というしだいでお話しはおしまいとなる。

 ブナ科の馴染みのどんぐりをキャラクターに人気のシリーズとなっている一冊。シリーズでは、保育士、評論家、編集者、小説家、警察官、大工、村長、喫茶店主などの職種のどんぐりたちがにぎやかに登場する。それら仕事のアウトラインを知るのも学童期から求められる時代というのだろうか。
 パンづくりの実際をしっかりおさえ、仕事のありようを問う作品の仕上がりも秀であるが、字句をきっちり書き分けて、平仮名(数詞を除き)で全編を貫いた編集者のていねいな工夫も傑作誕生の一因となっている。

『どんぐりむらのぱんやさん』(なかや みわ/さく、学研教育出版)

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