えほん育児日記
〜絵本フォーラム第82号(2012年05.10)より〜

命のリレーが繋がると同時に…

 2012年2月28日、娘は1歳の誕生日を迎えた。あれほど小さかった赤ん坊が、自分の足で立ち、わずかだがヨチヨチと歩けるようになった。壊すだけだった積み木も、積みあげて遊べるようになり、絵らしきものも描けるようになった。喜怒哀楽の感情もはっきりし、指差しをしたり、何やら言葉を話したりしながら自分の意思を伝えられるようにもなった。
 いつの頃からか、娘は絵本をかじったり、破ったりすることがなくなった。手の届く場所に数十冊の絵本を選んで置いておくと、遊びの合間、思い出したようにそこへ行く。そして、「こっ!(これ読んで!)」と言って、何冊かの絵本を代わる代わる持ってくるようになった。今お気に入りの絵本は『いないいないばぁ』(松谷みよ子/文・瀬川康男/画・童心社)、『もこもこもこ』(たにかわしゅんたろう/さく・もとながさだまさ/え・文研出版)、『だるまさんが』(かがくいひろし/さく・ブロンズ新社)だ。
 休日、娘は夫にも「こっ!」と言って絵本のリクエストをする。夫のあぐら座の椅子にちょこんと座って絵本を読んでもらっている娘の姿に、自分自身の幼少期の思い出が重なる。母もきっと、この光景を眺めながら「幸せ」を実感したことだろう。

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 結婚をすると当然ながら、配偶者の生まれた家とも深い繋がりが出来る。そして、異なる家庭の温かい親子関係に触れる。私の夫は、長崎県佐世保市に生まれ、義父は今も現役で外国貨物船舶の船長をしている。出航すると1年の殆どは遠い異国の海の上。夫は幼い頃から、自分の父親と1年のうちたった数ヶ月しか会えないことが当たり前で育った。夫にとって「父親が家に帰ってくること」は特別な出来事だった。父が帰宅している数ヶ月だけ叶う、一家団欒の食卓。その記憶が幼少期の父との思い出として強烈に残っているらしい。

 そんな義父の帰りを待って、娘を連れて初めて帰省したのは昨年末のこと。娘は生後9ヶ月目に入っていた。義母は産後すぐ娘に会いに来てくれたが、それでも何ヶ月ぶりの再会である。滞在中、両親はまるで夫と私の姿は目に入っていないのではないかと思うほど、ずっと志帆を優しい眼差しで見つめ、娘の仕草の一つ一つを喜び、可愛がってくれた。もっと長く一緒にいたい、そんな気持ちが伝わってきて、刻一刻と時間が流れゆく事が辛く寂しかった。
 帰宅する日、佐世保市内の小さな駅で電車を待つ間も、ギリギリまで両親は娘を抱っこしてくれた。「次にまた会いに来られるのは何ヶ月後だろう?」「自分の息子とも毎年こんなお別れをしていたのか……」色々な思いが巡り、私は胸がいっぱいになった。夫は、電車の扉が閉まる瞬間、こっそり涙を拭いていた。
 夫はずっと、自分の父親が子どもと接する姿が想像出来ないと言っていた。でも父親が、限られた時間を目一杯使って娘と遊ぶ様子を見て、幼い頃、自分もきっとあんな風に、会えない時間を埋め合わせても尚十分余りある程の深い愛情をかけ育てられたのだと実感したそうだ。

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 よく、「孫の顔を見せること」が親孝行の一つと言われる。でもその意味に、自分達の「家」を築き、「子育てする姿を親に見せること」が含まれているように思える。命のリレーが繋がると同時に、親から子へ、子から孫へ、「愛情」という財産がしっかりと受け継がれたことを見届けて、やっと「子育て」に一区切りつけることが出来るのではないだろうか。そういう意味では、まだ危なっかしい私たち夫婦の子育て奮闘ぶりに、両親も苦笑いをしていることだろう。それでも、少しずつ、受け取った温かくて重い襷を前へと繋ぐために、今日も私は娘と一緒に絵本を開く。そして、より多くの家庭でそんな穏やかな絵本の時間が紡がれるよう祈りを込めて、私も絵本講師としてもっと大きく羽ばたいてみようと思う。(おわり)
                                         (はら・ちえ)

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