京都大学

原子炉実験所見学

小出裕章先生講演

 


 絵本講師として、また、子どもたちや子育てをする人びとと関わるものとして、そして現代を生きる大人として、これから私たちは何を考え、何を伝え、どう生きていくべきなのか。3月11日以降、私たち絵本講師は、その答えを模索しながら歩み続けています。
 今回はその答えの一端を求め、絵本講師の会「はばたきの会」の老若男女総勢28名が10月11日、大阪府熊取町にある京都大学原子炉実験所を訪ねました。敷地内にある廃棄物処理棟、研究用原子炉を2時間ほどかけて見学した後、小出裕章先生による講演を聴きました。
 実際の原子炉を見て感じたこと、また原子力発電を無駄なエネルギーを放出し続ける「海温め装置」だと表現された小出先生の講演で考えたことを、大西徳子さん(芦屋6期)と堀江雄宙くん(小学5年生)に報告してもらいました。(大長咲子)

 
       国民は『安全神話』に騙された。騙された責任が問われる……

                                 大西徳子(芦屋6期)

 研究用原子炉。
周囲には様々な配管や機材が置かれ物々しい


 
 「いま、日本で最も信頼できる科学者・小出裕章氏(京都大学原子炉実験所助教)のお話を聞こう」(はばたきの会緊急特別企画)の日が来ました。
 曇り空の中、参加者28名(小学生1名)を乗せてバスは午前11時過ぎにJR芦屋駅前を出発し、京都大学原子炉実験所(大阪府泉南郡熊取町)に向かいました。車中は伊座利ツアーとはちがい、どことなく緊張感が漂っていました。大長咲子副会長から見学についての説明があり、続いて九州地区で幅広いご活躍の様子を「絵本フォーラム」や「はばたきの会」会報で拝見していた松本直美理事からご挨拶がありました。
 車中でお弁当を頂き、お腹にエネルギーを蓄えました。約1時間でバスは熊取に到着しました。正門で各自、「臨時構内立入者証」を首から下げて、いざ入門です。

                      ◆   ◇   ◆
 
 はじめに研究施設と実験設備棟の説明とビデオ上映がありました。研究炉は熱出力が小さく最大5千キロワットで発電には利用してなく、原子炉から取り出した中性子を利用して医療活動、材料分析、物質構造等の基礎研究をしています。微量分析では、宇宙空間から飛んでくる地球にはない微粒子を分析。最近では、小惑星探査機「はやぶさ」の小惑星イトカワからの試料分析も行なっているそうです。中性子によるガン治療は現在、保険適用になるように厚労省に働きかけていると説明を受けました。
 この後10名が1グループになり職員の方の案内で廃棄物処理棟見学に向かいました。ここでも実験用に使用した放射性廃棄物は出ます。法律の規準値以下であれば、大阪湾に流し、後の廃液、固形廃棄物はドラム缶にいれて廃棄物倉庫に保管しています。そのドラム缶はどこにもっていくのか? 等、沢山の質問がでました。今は福島県でのセシウムがどのように動き、どれ位人体に影響を与えるかが研究テーマだそうです。

                      ◆   ◇   ◆
 
 次は研究用原子炉見学です。入口で放射性物質の付着を避けるオーバーシューズを靴に被せます。線量計を手渡され、二重の鉄の扉を抜けて原子炉建屋内に入りました。原子炉を見て、このもっともっと大規模な発電用原子炉が水素爆発したのかと想像するだけで背筋が凍りました。最新の医療診療所は散らかっていて、衛生面は大丈夫なのかなと思いながら、模型の核燃料棒や制御棒の重さも体感し外へ出ました。出口で汚染確認のハンドフットモニターに乗り表示が出るまではドキドキしました。「異常なし」、とわかっていても心配なのに、福島の子ども達の内部被曝や甲状腺検査の結果を待つ間の親の気持ちはどれ程不安で辛いでしょう。今後も耐え続けていかなければいけないのか、と思うと胸が痛みます。
 最後に小出裕章先生の講演がありました。8月に先生は、東北電力発電所建設計画に反対して住み込んでいた女川(おながわ)に四十数年ぶりに戻られました。そうしたら漁師の町、海にへばりつくように人が住んでいた町は駅すらなく、町の全てが地震と津波に流されていて呆然としました。
 そして、先生は思われました。「この町には必ず人が帰ってきて、ここで町を再建する。漁業だって必ずできる」、と確信されました。
 しかし、福島県の汚染区域はそうではない。戻れない、復興も何もできない。戦争で負けても「国破れて山河あり」、ちゃんと土地があり人々は生きられるのです。先生は女川に行く前に福島に行かれたそうです。東京駅でスイッチを入れた放射線感知器は、大地から新幹線の車体を通過し客席に届いた放射能を正確に捕捉しています。福島駅ではなんと東京駅の10倍になっていたそうです。
 放射能は五感に感じられないので、乗客は福島で大人も子どもも知らん顔して降りていきました。国民は「安全神話」に騙されたが、騙されたことの責任がある。責任をどうやってとるか? 先生の願いは2つです。

@ 子どもを被曝させない
 子ども達には事故を招いた責任は全くありません。子どもは放射線の感受性が、60歳を超えた人間に比べれば何百倍も高い。何としても子どもの被曝を守るということを大人がやるべき。

A 第一次産業を守る
 国は年間一ミリシーベルト以上被曝してはいけない、させてはいけないという法律を反故にし、20ミリシーベルトを超えるところ以外は人が住んでいい、と国民を見捨てま した。
 そんな中で福島の人は農業、酪農、漁業を被曝しながら続けています。彼らが作ってくれている食べ物は汚れていますが、何としても子ども達にきれいなものを与え、残った汚染物を大人が食べるということでしかない、と講演されました。

研究員から燃料棒の説明を受ける絵本講師。
様々な質問が飛び交う

 



 最後に森理事長がお忙しい貴重な時間を頂いたことに感謝の意を述べられました。
 原子炉を実際にこの眼で見ました。小出先生の子どもを守りたいという強い熱意と深く優しい「生の声」を聴きました。皆さん、さまざまな感懐を抱(かか)え、夕暮れが迫る原子炉実験所を後にしました。自分の生き方を問いながら……。                                       (おおにし・のりこ)

原発がなぜだめなのか、それなのになぜ使われるのか
                                 
                                   堀江雄宙(小学5年生)

受講生に語りかける小出裕章助教。講演の内容は重いが、誠実なお人柄で聴く者のこころに直截ひびく

 ぼくは10月11日に、泉南郡熊取町の京都大学原子炉実験所の見学をして、その後小出裕章先生の講義を聴きました。
 最初に、実験所の紹介ビデオとその説明がありました。そのなかで、国の許可を得てがんの治りょうをやっているということを初めて知りました。しかも、中性子を利用して物体のとう視などの科学に活かせているという利点だけが出ていて、「なぜ、原子力がだめなのだ」という疑問が出ました。
 次に、廃棄物処理棟を見学しました。1年にドラム缶1個分出る放射性廃棄物は倉庫に入れっ放しになるうえ、その他にも手袋などのゴミも国が定めた機関に引きわたし、結局、国外放置など最終的な処理がはっきりしていなくて、最初にビデオを見た時のぎ問の答えが「後始末ができない」からだと思いました。
 その次は、研究用原子炉(KUR)見学です。原子炉建屋に入る時、くつにカバーをつけました。これは建屋の中でくつに放射性物質が付着して建屋の外へ出してしまわないようにすることと、くつの汚れを建屋の中に入れないためだと思います。カバーなどは再利用がむずかしいと思うので、それもむだになると思いました。

                      ◆   ◇   ◆
 
 実際にKURに入ると、気圧が変わって耳に違和感をもった人がいました。中は、大きな六角形(柱)の壁にかこまれた物があり、その操縦室(原子炉制御室)が2階にありました。2階と言っても、外側の壁にそって通路があり、部屋は外にはい出しているようでした。この原子炉の建物を見て、この中にがんを引き起こしたり、様々な実験に使われたりするものが入っているとはとても思えませんでした。
 外に出て、その他の機械を見学しました。その中で中性子を帯びた物を扱う所では、2重窓になっていて、「そこまでしてなぜ他の方法を取らないのか」というぎ問がわきました。
 建屋から出る時、代表の人が体に放射性物質が付いていないか検査をしました。その時「細かすぎる」という思いと「それぐらいしないと」という2つの思いが、ぼくの頭の中に出ました。

 最後に、小出裕章先生のお話しを聴きました。その中で、「100万kwの原発が1年で燃やすのは『広島に落とされた原ばく1000発以上』」、という先生のお話しが最も印象に残りました。理由は、原ばく1つ(ウラン800g)分でも街がかいめつ的なひ害を受けたのに、それよりもはるかに多い量のウランを燃やしていると分かったからです。
 この見学で、なぜ原発がだめなのか、それなのになぜ原発が使われるのか、ということがよく分かりました。
 ぼくは、原発はだめだけど、原発にたよることもいけないと思ったので、これからは、原発がだめならどうすればいいかを考えるようにしたいです。
                (ほりえ・ゆう)
廃棄物処理棟から研究用原子炉に向かう見学者。
木の緑が美しい

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