えほん育児日記
〜絵本フォーラム第78号(2011年09.10)より〜


 福島の原発事故についてお話をうかがうために京都大学原子炉実験所を訪れました。長身の穏やかな佇まいからは、 40 年というながきにわたり原発反対運動をされてきたとは想像できませんでしたが、お話をうかがい、静かな怒り、強い信念を感じました。私には長い間、疑問に思ってきたことがありました。子どもじみた質問に貴重なお時間を頂くことは申し訳なかったのですが、これからの自分自身の生き方を見つめ直すために質問させていただきました。

福島の放射線は広島原爆の 130 発分が空気中に放出

舛谷裕子 今現在どれくらいの放射線による汚染がありますか。

小出裕章 今回の水素爆発で放出された放射線は広島に落とされた原子力爆弾の 130 発分に相当し、それに加え 130 発分の放射線に汚染された水が敷地内の地下から漏れている状況です。

舛谷  8 月 1 日、 1 号機と 2 号機の原子炉建屋の間にある排気用煙突の底の部分で、 1 時間あたり 1 万ミリシーベルト以上(被曝するとほぼ全員が死亡する量、また放射線業務従事者の被曝量は 1 年間に 20 ミリシーベルトまでとされている)の線量が確認され、他の地点では観測されていないと報道がありました。

小出 現在の福島原子力発電所の中にはそういう場所がたくさんあり、原子炉建屋や格納容器の中はその程度の放射線量ではすまないと思います。その放射性物質を何十年もかけて始末をしていかなければいけないのですけれども、今後も次々と高い値を示す場所が見つかるだろうと思われます。

舛谷 これから、福島はどんな風になっていくと思われますか。

小出 よくわかりません。私が考える最悪のシナリオをたどるとすると広島の原子爆弾 1000 発分程の放射性物質が出てくる可能性が残っています。現在、作業員の方がたが懸命に手当をしてくださっていて苦労がなんとか実を結んでくれることを願っています。だが、もうすでに広島原爆 130 発分相当の放射性物質が大気中に出てしまい、同じくらいの汚染水も漏れています。福島を中心に汚染を広げ、世界中が汚染されてしまいました。これから汚染された世の中でどうやって生きていくのかを考えないといけません。福島の発電所の中には、高濃度の放射性物質がそこにあるわけで、とにかくその放射性物質が環境に出ないように閉じ込める作業を 10 年 20 年 30 年と継続して手当をしていかなければなりません。

舛谷  86 年におきたチェルノブイリ原子力発電所の事故では、まだ放射能が漏れていると聞きました。

小出 チェルノブイリでは事故が起こった原子炉を石棺で覆っていますが、あちこち割れ、穴が開いていて、その穴を埋めていっていますがそんなことをいつまでやっていても仕方がないわけです。今の石棺をもっと大きな石棺で丸ごと覆ってしまおうという計画があります。福島の場合もおそらくそうなるでしょう。

「騙された責任」こそ感じてほしい

舛谷  1970 年代香川県に住んでおり、子どもを対象とした伊方原発の安全勉強会に参加しました。小学生の質問に「原子炉に入っている物は核ではないし、爆発もしない。広島の原子力爆弾とは少し違う」と答えられました。腑に落ちない一人が「日本には非核三原則があるんじゃないのですか」と聞くと返答はなく、その会は、四国電力の人がみんなのためにこんなに便利な物を造ってくれてよかったね、という雰囲気で終わりました。あの会は小学生の私たちをも騙すための会だったのでしょうか。

小出 もちろん、そうです。私も騙されました。騙されたという言葉は私にはしっくりきませんが、原子力の平和利用はあると思い、自分の命を使おうと考えてこんなところに来てしまいました。しかし、聞かされていたことと事実は全く違っていました。核と原子力は違うといわれ、生活をするためには必要、ゆたかな日本を作るために必要、原子力発電所は絶対に事故は起こしませんと聞かされ続け、ほとんどの日本人が信じて来たんだと思います。それを私は嘘だといってきたし、事故は起きるといい続けてきました。本当は事故なんか起きなければ良かったんだけど、起きてしまった。ここまで来たら、みなさん気付いてくれよと思います。

舛谷 まさか子どもには大人がそんなことをしないだろうと思っていました。あの時に、おかしいといえていたら大きく変わることはなくとも少しはましだったのではないかと思ってしまいます。

小出 ありがとうございます。しかし、日本なんて数十年前まで戦争をしていたのです。大本営発表があり、それと違ったことをいえば村八分にされてしまう世界がありました。学校教育の現場は原発に関して反旗を翻せない、そんなことをしていればほされてしまいます。いつの時代もいつの世界も、その国その社会で力を持っている者が都合の良い情報を流し、都合の悪い情報を流したものを罰するそれの繰り返しなのではないですか。

舛谷 安易に核を使ってはいけなかったのではないでしょうか。

小出 国は、原子力は核とは違うといい続けてきました。 nuclear (核)ですが、言葉の訳し方で都合良く使い分けています。 nuclear weapon (核兵器)、 nuclear power plant (原子力発電所)と訳しています。どちらも核を使っていることにかわりはないのに、核と原子力は全く違うと国はいい続けてきました。マスコミもそうです。イランや朝鮮民主主義人民共和国が原子炉を造ったあるいはウラン濃縮をしたと聞けば核開発( nuclear development )をして悪い国だといい、日本だと原子力開発といい、良いことをしているという。でも、やっていることは同じなのです。

原子力発電所は危険だから過疎地に造るのです

舛谷 原子力を造った方も安全だと思って造っているわけではないとわかっているのですよね。

小出 原子力開発をすすめてきた人も、絶対に安全だとはみんな思っていないと思います。だから、原子力発電所は都会にはない。関西でも神戸や大阪湾には造らず若狭湾に林立させている。そして、長い送電線で電気を供給している。東京電力は、火力発電所は東京湾に林立させているけれど、原子力発電所だけは自分の管轄下に置くことができず、やれ福島だ、やれ新潟だというところにおいて長い送電線を引いている。次に造ろうとしたのは青森県の下北半島の最北端東通村です。もういい加減にしてくれと私は思います。本当に安全なら都会に造ればいいことです。それはできないまま、安全だ安全だといいながら過疎地の人々に危険が生じている。

大人は嘘をつかない生き方を子どもに見せることです

舛谷 子どもに対する教育はとても影響があると思いますが。

小出 教育はすごくたいせつだろうし、子育てですよね。どういう人間を創るかということが一番の根本なわけだし。嘘をついてはいけない、間違えたら謝れる子に育てられればそれだけでいいと思うんです。でも、大人になるに従って、みんな嘘をつきながら、社会の中に巻き込まれながら、なんとか自分の出世も含めて生きていこう、なんて思うような大人になっちゃうんですよね。嘘をついても、それを取り繕う。今の原子力のやっていることとそっくりそのままですけれども、どうしてもそうなってしまう。そうならないようなまっすぐな子どもを育てるということですよね、たいせつなのは。

舛谷 どうしてこんな風になってしまったのかと考えてしまいます。

小出 アインシュタインがルーズベルトに原爆を作れと進言したんですよね。ナチスが作れば世界が破滅する。ナチスより前に作らないといけないといい、それで原爆ができた。できたときにはナチスは崩壊していた。だから、アインシュタインはもう原爆は使うなといったけれども米国としては作ってしまったから使ってしまった。そこで、アインシュタインは一言呻いて「次にもし生まれ変われるなら、水道の配管工になりたい」といったといいます。歴史というのは強大な流れで流れるわけです。一人ひとりの個人の力なんて、あのアインシュタインだって微々たるものだったわけだし、誰だってそうですよね。個人の力なんて。でも、小さいからといって黙ってみているなんて、もちろんできないわけだから。後から問われるんじゃないですか。あの時、お前はどうやって生きてたんだってね。全ての子どもに。

ウランの毒性が減るのに 100 万年かかります

舛谷 永久機関は存在しないが、核分裂から元に戻るのには孫の代でも見られないほどの期間がかかると習いました。

小出 地球というこの星にはウランがあるわけです。ウランというものも放射能を持っている。キュリー夫妻が、ウランが放射能を持っていることの正体を一生懸命調べ、ウラン自体も危険な物だとわかった。そして、ウランを核分裂させてしまうと元々ウランの持っていた危険性の 1 億倍とか 10 億倍程の危険を持った核分裂生成物になってしまう。ウランは 45 億年経たないと半分にならない、核分裂生成物はもっともっと寿命が短いので、どんどん寿命が減っていってくれる。ヨウ素は 8 日経てば半分に減り 80 日経てば 1000 分の1に減り、あっという間になくなっていくわけです。今、私が問題にしているセシウムという物は 30 年経てば半分に減り 300 年経てば 1000 分の1になります。一方、ものすごく寿命の長い放射能もあって、例えばプルトニウム 239 は 2 万 4 千年経たなければ半分にならない、ヨウ素 129 は 1600 万年経たないと半分にならないという物ですから、少しずつ減っていってくれるがなかなか最後は減らなくなる。ウランは、元々のウランが持っていた毒性と等しいくらいの毒性まで減ってくれるのに 100 万年かかる。せいぜい 100 万年間は、ウランが地底に眠っていたように、地球の生命環境に出てこないようにする責任があるだろう。でも 100 万年なんてね。六甲山はまだ海の底ですよ。自分が作り出したゴミの始末ができないことを、分かっていながらやるかと思います。

 小出先生は拙い私の質問にも、真意をくみとってくださり丁寧に、真摯に答えてくださいました。思いやりがあふれ、質問者の私を傷つけないように言葉を選んでくださっているのが、よく分かり感激いたしました。

 原発安全教育に違和感を感じながらも、追究してきませんでした。そして、大人になってしまいました。小出先生がおっしゃるように、これからの自分の生き方が問われていると思います。詩人 茨木のり子さんの『倚りかからず』を思い出しました。(ますたに・ゆうこ)

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