天野 美佐子(絵本講師)
私は今、シューマンの歌曲集を聴きながら、この原稿を書いています。今年はショパン生誕 200 年と、何かと音楽についての話題が取り上げられることの多い年です。が、実はシューマンも生誕 200 年であったことをご存知でしょうか。
鋭い感性と知性に恵まれ、たくさんの名作を残しているにもかかわらず、ショパン人気の陰に隠れているようで些か残念に思っています。
絵本の世界を学ぶようになって、作者とその背景・時代を探る面白さを覚えました。ふと、ショパンやシューマンと同じ時代を生きたグリム兄弟のことが、脳裡に浮かびました。あの激動のドイツにあって、彼らと接点があったに違いないと想像し、ひとり悦に入っています。
前置きはこれくらいにして本題に入ります。
「イクメン」という言葉がマスコミに登場するようになり、ほぼ定着してきたように思います。父親不在の育児に疑問をもち続けていた者としては、非常に喜ばしいことと受け止めています。「参加」とまではいかないまでも、関心をもって欲しいと願っています。
私たち団塊の世代は、夫を「企業戦士」として世に送り出し、亭主元気で留守が良いなどと嘯(うそぶ)いていました。でも本音は、皆寂しかったと思います。
子育ては妻に任せっきり、何かあればお前のせいだという夫。あの頃はまだ<母親はこうあるべき>という暗黙の了解のようなものが世論の大半を占めていたから、自分の考えを通すことなど土台無理なことでした。
何かあろうものなら<母親失格>の烙印を押されてしまう。これには社会から抹殺されてしまうくらいの怖さがありました。おまけに先輩からは、<私たちもやってきたこと、出来ないことないはず>、この言葉は手枷足枷になりました。
当時、唯一の休日は日曜日。これもゴルフ・接待に追われ、疲れ果てて家に帰る父親の姿に威厳などあろうはずがない。これでは難しい年ごろを迎えた子どもたちの反感を買うのは当然の成り行きでした。
この時の子どもたちが、今、立ち上がっているのです。どうやら私たち親世代が反面教師になり、また妻の孤独な子育てを何とかしなくてはという思いが、この行動につながったのでしょう。
世の若い夫たちは妻に育児の一端を担って、はじめて大変さと楽しさを知ったと言います。わが子の成長を実感としてとらえることが出来た喜びを、夫たちは語ります。
そこで企業側にお願いしていのです。この時期だけでもよいから、育児休暇あるいは就業時間を減らして、若いお父さんたちを家庭に戻してあげてほしいのです。
良き家庭人は良き社会人。子育てに係わった男性たちは、ゆたかな人間性を磨き、社会にあってもその実力を発揮することでしょう。
ところで、母性を語る人たちは多いものの、父性についてはあまり聞かれないのはなぜでしょう。母性は子を宿したときから育まれていくと言います。では、父性はどうでしょう。自宅で臨月を迎える方が増えているものの、実家に帰ってのお産も今もって多いようです。それにはいろいろな理由が挙げられますが、父親不在のお産なのです。
実はこの過程が、父性獲得にとても大事な役目を果たしているのです。本当の意味での父親になるためにも、その後の育児に参加するためにも、大きく影響を与えていくと思っています。父性もこの道程を辿らなければ発揮出来ないし、育たないと思うのですがいかがでしょうか。
もう随分前に読んだ本ですが、「父は鳥の目、母は昆虫の目」というタイトルが、今も心に残っています。働く父親の広い見識で子を育み、母親のこまやかな愛情で子を慈しむということなのですが、母親が二人になってしまっては本末転倒。それぞれの役割を、しっかりと果たしてほしいものです。
最近の新聞で「学生もイクメン予備軍」「中高生パパ・ママ体験」。こんな記事がありました。前者の記事では、働きたい妻とどうやって家庭を維持していくか、学生たちの取り組みを伝えています。
後者では、中高生が将来、親になった時に備えて子どもとの係わり方を学び、幼い子に頼られることで自信をもつことができる、と書いていました。
本来、家庭や地域の中で自然と身につけてきたことを、教育の現場でも学ぶ時代が来ているのだ、としみじみと思いました。
いつの時代も、子育ての最終目標は<良い親になってもらうこと>かも知れませんね。
(あまの・みさこ)
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