絵本・わたしの旅立ち
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どちらをとるか★考えよう

 ごく最近というわけでもありませんが、街頭紙芝居系のイベントが、次々に開催されているようです。
  まず嘗って紙芝居を業とし、町内や野外にでて営業していた人たちは何人かで、それぞれ縁のある地域で復活しはじめていることが明らかになってきました。
  そういう種類のニュースを手にすると、新聞やテレビなど、力のあるマス・メディアが早速のりだしてきて、
「昔なつかしい、世界で一番小さな劇場の再興、カチカチという拍子木のひびきと共に子どもたちは勿論、童心をとり戻した大人たち……」
  などとあおりたてるような記事を書き、単なるレトロ趣味ではなく、滅びかけた児童文化が、ようやく息をふきかえしたような錯覚を持たせます。

 先月も驚いたことには、関西地方の高校生をとりこみ、何と「紙芝居甲子園」なるものを立ちあげ、四枚一組み(!)の作品を募集、本人の上演を含めて採点、表彰するイベントが実施されたばかりだと聞きました。
  コンクールだけではありません。各地で紙芝居の製作の講習会を開いては参加者を集めつつあります。
  こういう状況がつづけば世間では、悪どい内容と表現・演技を拡大してゆくテレビやマンガに対すると同じく、それらに対応する良心的な清々しい運動体とすら位置づけかねない有様になってきました。

 これでは、芸術としての紙芝居、いわば教育の一環としての紙芝居を、もっと市民や図書館に位置づけ「これが、ほんとうの紙芝居の役割だ」とイライラしながら主張する人びとや機関が、正しい庶民芸術としての紙芝居が広がるよう積極的に普及活動をしたり、創作のコンクールをはじめることになりました。それはちょうど昇り坂にあった日本の絵本の世界も、戦前の童画風の保育絵本を越えてぬけだし、更に水準の高い子どもへの芸術として確立しようと熱望する時期と交又し、ともに同じく絵と文で成りたち、一方は演技、一方は読み聞かせという創造や伝達の手法が共通する部分も多く、互いに影響しあいながら、それぞれの領域での発展を示すことになりました。

 私も絵本のすべてにかかわりあいながら、例えば大阪府箕面市主催の紙芝居コンクールに二十年も審査委員長をつとめ、子どもの文化の表裏を支えるのに汗を流してきました。コンクールの応募者も、子どもと成人、国内の殆どの府県のほかラオスなどからまで参加者がひろがり、若干の危惧を持ちながらも、これらの児童文化財の復興に正直なところ一安心、安堵していたわけです。

 ところが思いがけなく最近応募される紙芝居のなかに、また時を同じうして特別評判の、売れ筋の絵本のなかに、そんなB級的傾向の主張と評価が見えはじめてきたのです。
  ある力のある応募者すら、こんなことを話しているのに出会いました。
「子どもの発達や生長に役立つような作品でありたい。——などと、めんどうな論議をするのはやめようではないか。子どもが心からアッハッハと笑ってくれさえすればオンの字、大成功なのだ」
  そして作品を見ていると主張どおりテレビのお笑い、マンガのギャグばかり溢れるように演じられ、子どもたちが、ほんとうに体全体で笑いころげる人気です。私たちは思わず叫びました。
「こんなことをしてると、絵本まで喰い荒される。アホな世界に堕ちてしまうぞ! 危ない!」

  私たちもこんなB級の下手なマンザイに紙芝居や絵本が乗っとられていいものですか。せめて絵本だけでもB級の世界から離れたいもの。
  「絵本講師・養成講座」も、その先端的活動です。先輩たちの汗の重さを知るためにも、私がこの一両月接触した文献です。ともに自らをムチうちたいものです。

○絵本を読んであげましょう(「絵本で子育て」センター)
○赤ちゃんに絵本を読むということ(連合出版)
○赤ちゃんと絵本をひらいたら(岩波書店)
○絵本が目をさますとき(福音館書店)
○赤ちゃんと絵本であそぼう(一声社)
○新しい絵本 1000(メディアパル)
○この絵本が好き(平凡社)
○たましいをゆさぶる絵本の世界(「絵本で子育て」センター)
○絵本・わたしの旅立ち(「絵本で子育て」センター)


「絵本フォーラム」70号・2010.05.10


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