たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 
「絵本フォーラム」第70号・2010.05.10
●●59

泥んこ・お風呂・泥んこ・お風呂で、身も心も洗われる

『おかあさんもようちえん 』

 久しぶりに千葉こどもの国キッズダムに遊ぶ。30年ほど前からいまはそれぞれ母親、父親となった娘や息子とよく遊んだ公園である。孫のたくまが現在の遊び相手だ。時代はめぐり年寄るぼくに、ぐんぐん育つ孫はもう4年生。山倉ダムに接した 40 万平方メートルもの広大な公園はなかなかすばらしい。大きく広がる芝生広場を中央に、周囲にサイクリングやゴーカートコース、野外遊具に釣り堀が配されている。遊具がほどほどなのは自然に遊ばせる配慮だろうか。

 もちろん、ここでは子どもたちが主役となるが、ぼくら成人にとっても春の桜花にはじまる四季の花や樹木の香りは日常の疲れや鬱な気分をずいぶんと癒してくれる。汗だくになりながら遊びに熱中する子どもたちを見ることができるのも心はずむではないか。

 まず、腰部にロープを装着し 5 メートル前後を吊り上げ跳ねるトランポリンにたくまが挑む。子どもたちが頭上高く後転演技をのびのびと披露するのは壮快だ。何度目かの挑戦で後転演技を成功させたたくまが自慢げに胸をはる。純朴さがうれしい。彼は、こわごわと初挑戦したローラースケートでも一転び二転びするうちになんとか前へと滑り出した。もう一日も楽しめば大丈夫だろうか。ゴーカートは安全講習に体験試乗を受けて免許皆伝、ひとりで運転しコースを一周した。どうだいといわんばかりの鼻高々の表情もいい。

 当日イベントは、9枚に分割された方形板をボールで射抜くゲームで、縦・横・斜め3枚射抜くと褒美がもらえるという仕掛け。幼児、学童、中学生、大人と投擲距離を変えての勝負で孫とじいさんは出場する。たくまは斜めと下辺をそれぞれ3枚射抜いて二つの褒美、じいさんはボールが軽くて押えを利かせずに散々の成績…。すっかり孫の後塵を拝してしまう。

 こんな遊び場にはなかなか恵まれない。キッズダムも県営ではやっていけず、第3セクターの運営となった。もちろん有料だ。遊ぶ時間なく、遊ぶ仲間もいない。だいたい都市では子どもたちの遊ぶ場所が少なすぎる。室内生活が多い保育所や学童保育室は子どもたちの居場所とはなるだろうが、十分に四肢をのばして活動する遊び場所とはならないだろう。その保育所や学童保育室ですら参加できない子どもたちが圧倒的ではないか。塾通いやテレビ・ゲームで部屋にこもりきりの子どもたちもいる。

 さぁ、さて、ぼくらは未来を担う子どもたちにどんな遊び場・居場所を創りだすことができるだろうか。

 で、実在の子どもたちの学び場・遊び場をモデルとしたという絵本の話である。乳母車の赤ちゃんを連れてママといっしょに水田地帯へ散歩に出かけたヒカルくん。田んぼのなかに見つけた離れ島 ( ? ) めがけて、あぜ道を一目散。「知らないところに行っちゃだめー」「くつが汚れるわー」とは、もちろんママのとっさの言葉。「おにいちゃんでしょ、いいこにしなさーい」と世間一般のお母さん用語で諭しても聞く耳を持たないヒカルくんはどんどーんと駆けていく。

 駆け込んだのは田んぼのなかにぽっかり浮いた「まるごとえん」。四国徳島の緑の楽園だった。

 駆け込んだはいいが、いきなりすべって転んだヒカルくんは泥まみれ。なんのこれきしとばかり、「まるごとえん」には泥んこまみれの子どもたちが勢ぞろい、カエルと遊ぶタカシくんもカナちゃんも泥んこバンザーイの体ではないか。

 部屋の中ではスミちゃんたちがお絵かきの真最中、「今ね、今ね、クレヨンが小さくなって小さくなって消える瞬間を見たんだよ」とおどろきまなこを輝かせている。口あんぐりのママは思わず両手を打ってしまうのでありました。そこにスタッフのプーリンさんから、ふいに「ミチコさん…」と名を呼ばれたママは、ドギマギ恥ずかし表情は一瞬だけ、すっかりぐんぐん「まるごとえん」にのめりこんでゆくというストーリー。「今、やりたいことが、一番目」が「まるごとえん」の教義である。やりたいことをまるごと面倒みてしまえ、というのだろうか。いや、いや、楽しい園なのだ。

 果たして、おかあさんは童心取り戻して子どもたちに負けじと泥んこ遊び。「こう見えたって、ミチコさんは、幼稚園きっての泥んこ達人だったのよ」と啖呵まできった。もちろん、ヒカルくんもカエルと戯れ、カヌーに遊ぶ。

 お風呂は無休の「まるごとえん」。泥んこ・お風呂・泥んこ・お風呂で、身も心もすっかり洗われる不思議で破天荒の楽園がなんだかほのぼのと描かれる。『そうだよなぁ、おかあさんだって遊び場失くしているんだと、ぼくは、しみじみとうなづくばかりです。

『おかあさんもようちえん』 ( 梅田俊作・佳子 さく、絵本で子育てセンター )

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