たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 
「絵本フォーラム」第66号・2009.09.10
●●55

自分は何もの? 存在証明を意識する子猫のしろちゃん

『しろねこ しろちゃん』

 自分が何ものであるのか、他者は自分をどのように見ているか。そんなことを意識しはじめたのは何時のころだったか。

 両親や祖父母の愛情にくるまれて育つ子どもたち。どんな事象にも懐疑心なぞまるで持たないようにみえる純朴な子どもにも、時の流れは自分の存在証明を意識させる時期を与えるようだ。大人と子ども、女と男、兄と妹。家族と隣人。そんな違いや異なりを何故だか意識する。意識しながら不思議に ” みんなと同じでありたい ” という思い。大人も案外そうだが、他と違う・他と異なる自分を意識すると仲間はずれにあったようで言いようもなく寂しく不安で哀しい。長じて生きる自信を持つようになると、他より少しでも優位に立とうと自意識を膨らませるのだから、人の心性は複雑である。

ぼくは愛犬と永く生活をともにする。しかし、愛犬の心性をどれほど理解できているかは怪しいものだ。だけれど、ぼくは人間の心性と大差ないと思うことにしている。

で、白猫のしろちゃんである。 ( 『しろねこ しろちゃん』 )

白地背景に小鼻を赤く染めたしろちゃんは大きな瞳をかがやかせて表紙に登場する。表紙をめくると真っ黒な母猫に安心しきって寄り添うあかちゃん子猫4匹。いっしょに生れた子猫だけれど、しろちゃん以外はみんな黒猫だ。このしろちゃんが悩む。お母さんのお乳を飲んでいたころは何てことなかったのだが、しろちゃんは何時の頃だったか自分だけが真っ白毛であることに気付くのだ。

「どうして…、ぼくだけ」。みんなと違う、と気付いたしろちゃんの心はどーんと沈む。「みんな、あんなにきれいな黒毛なのに」。 ” みんなと同じ ” でないことに悩むしろちゃん。胸をしめつけられるような哀しさもおそう。だから、しろちゃんは毛を黒くしようと黒土に転がったりこすりつけたり…。そんなしろちゃんの気持を知ってか知らずか、お母さんは舐めまわして元どおりの真っ白毛にすぐにしてしまうのである。どこまでも優しいお母さん。

 そんなとき、子猫たちが生れてこの方まだ会ったことのないお父さんが帰ってくるという。ナンセンスで不思議な邂逅だが、これがフィクション絵本の面白さ。で、しろちゃん除く兄弟はみんな大喜びだ。しろちゃんは自分だけ白毛なのが恥ずかしく、そっと家を抜け出すのだ。仲間はずれにされた気分だろうか。

 そうなのだと思う。まずは、みんなと共通項を持つ。みんなといっしょでなければ落ち着かないし不安だし、という気持、分かるではないか。家を抜け出しとぼとぼと…。

 物語はここで急転回する。道ゆく途中で大きな白猫に出会ったしろちゃんは途端にうれしくなる。で、大きな白猫の後について歩き出すしろちゃん。

白猫の行先は驚くことか、しろちゃんの家ではないか。子猫たちをうれしそうに眺める白猫はしろちゃんのお父さんだった。だれが一番うれしかったかって…。しろちゃんさ。…というやさしくうれしいお話なのである。白毛も黒毛も同じ家族。少しの異なりを認めながら、みんないっしょという理を自分の存在証明に切り結ぶ感動作品。 MAYA MAXX の大胆で暖かなデザイン筆致の絵作りが読者をぐいっと惹き込んでしまう。

『しろねこ しろちゃん』(森 佐智子・文  MAYA MAXX・絵 福音館書店 )

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