一隅を照らす花

  SMAPの歌う「世界に一つだけの花」は嫌いだと言う人が、少なからずいるようです。それは概ね、次のような理由からでしょう。

 「人間は生まれた時から世界に唯一つだけの花であり、オンリーワンなのは当たり前。そんなことは今さら言われるまでもない。しかもナンバーワンよりオンリーワンが大事だというのは、ナンバーワンを目指し、日夜努力している人に対して失礼だ。むしろ、ナンバーワンこそ本当のオンリーワンではないか」―。

 その一方で、今の日本には自尊感情を強く持てず、人生に意欲や志を見出せない若者が増えています。実際、社会で自分の居場所を見つけられない引きこもりやニートの数も少なくありません。そんな世相だからこそ、「世界に一つだけの花」が大切なのであり、好きな歌だと言う人も多いようです。

 天台宗の開祖・最澄の言葉 に 、「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」というのがあります。これは、史記にある有名な国宝問答「照千里、守一隅」の故事を踏まえた言葉とされています。その解釈の仕方には諸説あるのですが、一般には、人としての真摯な生き方を示すと同時に、人材の大切さ・素晴らしさを表す言葉として使われているようです。

 私は、もちろん千里まで照らせる素晴らしい人材には遠く及びませんが、せめて一隅を照らせる人間でありたいと思います。小学校での絵本読み語りも、そういう気持ちで続けてきました。そんな私にとって、絵本「とうちゃんのトンネル」(原田泰治/ポプラ社)は最高の応援歌です。

 娘の嫁入りに祝いの赤飯を食べさせてやれなかった“とうちゃん”は、土手にトンネルを掘って水を引き込み、高台に田んぼを作ることを決心します。しかし、それは村の誰もが無理だと思っていた、実に孤独で困難な作業だったのです。

 大きな石の壁の前で作業をあきらめかけた“とうちゃん”を、小児麻痺で足の悪い“だいすけ”は、狭くて暗いトンネルの中、木琴を叩いて励まします。そして、その石の壁を乗り越えた“とうちゃん”は、自分自身へ言い聞かせるように「足がわるいからといって、どんなことがあってもくじけてはいかん」と、“だいすけ”へ静かに語ります。そんな“とうちゃん”を、家族の誰もが信じ、励まし、助け、尊敬しました。そして四年後、黙々と働き続けた“とうちゃん”は、とうとう田んぼを作り上げたのです。

 「世界に一つだけの花」という歌を嫌う人の気持ちは、私にもよく分かります。確かに 人間は、生まれた時からオンリーワンでしょう。しかし、生まれた時は単なるオンリーワンの「種」に過ぎません。その「種」から自分なりの、いや自分にしかできない立派な「花」を咲かせた人こそ、本当のオンリーワンではないでしょうか。

 “千里を照らせる花にならずとも、一隅を照らす花となれ”―。それが 「世界に一つだけの花」 の歌の意味であり、子どもに対する親の願いだと思います。そのために親は、暖かい太陽の光にもなるし、慈愛に満ちた激しく冷たい雨にもなる−、そして、自らを犠牲に肥やしにもなるのでしょう。親になるというのは、そういうことだと思うのです。

 “とうちゃん”の勇気・忍耐・努力・愛情という「一隅の光」は、田んぼは勿論、それ以上の宝物まで家族や村にもたらしました。それは、“とうちゃん”だからこそ咲かすことができた、立派で大き な「花」でした。

 
「絵本フォーラム」48号・2006.09.10

鈴木一作氏のリレーエッセイ(絵本フォーラム27号より)一日半歩

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