喜怒愛楽

死を実感できる心

 若い夫婦による乳幼児の虐待、青少年による凶悪事件、学校内での陰湿ないじめなど、 そういう昨今の状況もあって、『命の教育』の必要性が叫ばれています。

 『命の教育』の根幹は、言うまでもなく「命の大切さ」を学ぶことでしょう。
 ところが学校現場では、自尊感情・思いやり・感謝といったテーマばかりが目立ち、死というテーマが真正面から取り上げられていないような気がします。「命の大切さ」を学ぶには、「死を考える、死を実感する」ことこそ必要なのではないでしょうか。

 日本女子大学の中村博志教授の調査によれば、「一度死んだ人が生き返ることがあると思うか」という小学校高学年に対する質問に対し、「ある」・「ない」・「分からない」という回答が約1/3ずつだったそうです。確かにテレビでは、役柄の上で死んだはずの俳優が別の番組で元気に登場します。テレビゲームでも、リセットボタンを押せば主人公は何度でも生き返ります。「バーチャルとリアルの区別くらいはできるはず」と誰も思うでしょうが、「バーチャル以外の死」を実感として持っている子どもは意外に少ないのが現実なのです。

 だからこそ、動物を飼ったり植物を育てたりする体験を子ども達にさせましょう。動物が死んだり植物が枯れたりしたら、親は敢えて大袈裟に悲しんであげることも大切です。
 また、入院中の知人の見舞いには、子どもも連れて行きましょう。患者が病室で寝ている姿、車椅子に乗って移動する姿、点滴瓶を下げて歩く姿を見せることも貴重な経験です。
 親が仏壇の前で先祖と対話をすることも、簡単だけど大事な『命の教育』でしょう。

喜怒愛楽  すなわち、親は毎日、仏壇の前にすわり、お線香をあげ、合掌し、先祖と言葉を交わすのです。親のそういう姿を毎日見ていれば、物心ついた頃には自ら仏壇に向かい、手を合わせる若者に自然と育ちます。そういう若者が人の身体や心をむやみに傷つけたり、まして凶悪事件を起こしたりするとは、私には到底思えません。 さらに、通夜や葬儀へ子ども達を連れて行くことも、大切な『命の教育』です。
 通夜や葬儀は、死者との最後の別れの場であり、命の意味を考え伝えていく場でもあります。すなわち、死に対する現実感、死者に対する畏敬の念、嘆き悲しむ家族の気持ちを肌で感じ、いつかは自分もこうして死んでいく、命ってなんだろう、人間ってなんだろう、自分は今後どう生きていこう―、そういった様々な思いを胸にする場でもあるということです。

 そもそも『命の教育』の課題は、自尊感情・思いやり・感謝をはじめ、喜び・共感・安心・勇気・志・怒り・忍耐・いとおしさ・悲しみ・職業観・食育・性教育・ヘルスプロモーションなど、多岐にわたります。どれも、「命輝く生き方」に欠かせないものばかりです。
 しかし、これらの全てには、「死」が必ず背景にあることを忘れてはなりません。すなわち、いつかは死ぬからこそ、「命輝く生き方」に価値があるのです。

 だからこそ子ども達には、死に対する実感をきちんと持って欲しいし、死や人生に関する本もたくさん読んで、考え悩んで欲しいのです。例えば、『夏のわすれもの(福田岩緒/作・絵、文研出版)』も、小学校時代に読んで欲しい本の一つです。突然の祖父の死、通夜と葬儀、そして、その後の家族の気持が丁寧に描かれています。
 死を実感できる心は、親になるために必要な条件だと思います。そういう心があって初めて「命の大切さ」が分かり、将来、「命輝く生き方」を我が子に伝えられるのではないでしょうか。



「絵本フォーラム」47号・2006.07.10

鈴木一作氏のリレーエッセイ(絵本フォーラム27号より)一日半歩

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