えほん育児日記
〜絵本フォーラム第114号(2017年09.10)より〜

「お話を運ぶ馬」になりたい

 

藤田一美(絵本講師・えほんや なずな店主)

 

 一年ほど前から、茨城県つくば市で絵本を中心に小商いをしています。長年の「夢」でもなんでもなく、地域から書店が消えていく危機感から必要に迫られて始めました。 わたしは京都の商店街で生まれ育ち、図書館で本を借りるよりも本屋さんで本を買う経験の方が多い子どもでした。生活圏に書店があり、気に入った本を買って自分のものにできたのです。それができなくなるのは、とても不都合なのではないかと感じました。

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藤田一美さん 現在はネットで注文すると、求める本が即日配達されてきます。具体的にほしい本があり、ネットを使える大人にはたいへん便利です。でも、子どもにはどうでしょうか? ネットでは実物を見ずに、情報だけで本を選んでしまうことだってあるでしょう。ネットの売り上げランキングを良い本のランキングと思い込んでしまう危険性もあります。なにより、本との思いがけない出会いがありません。それは、未知の本との遭遇というときめく瞬間を逃すということです。まことにもったいないことだと思います。

  そこで、書店で働いた経験は皆無でしたが、本屋になろうと「本屋入門」講座を受講し短期間にたくさんの情報を取り込みました。個人で書籍に関わる素敵な活動をしている方々の記録もいろいろ読みました。試行錯誤しているうちに、子どもの本の専門店・メリーゴーランドの増田喜昭さんの著書を通して『お話を運んだ馬』(I.B.シンガー/作、工藤幸雄/訳、岩波少年文庫)という本があることを知りました。

 およそ100年ほど前のポーランドが舞台です。お話が大好きな少年ナフタリは本屋になりたいと両親に打ち明けます。《本屋なんて、かせぎにはならんぞ》と父親は言います。年に2回、町にやってくる本屋のおじさんは《お話の本は、パンじゃない、なくったって生きていける》と言いつつも、《きょう、わしたちは生きている、しかしあしたになったら、きょうという日は物語に変わる。世界ぜんたいが、人間の生活のすべてが、ひとつの長い物語なのさ》と教えてくれます。《子ども向けの本を出しても出版社には大したおかねにならないから、うまみがない》という言葉も出てきて、現在の日本の状況と重なります。ナフタリは思います。《すべてがおかねで計ることができるものだろうか。お話を聞きたがる子どもたち、それどころか、おとなたちだって、方々にいるではないか》 成人したナフタリは、愛馬スウスとともに国中を回りながら、篤志家の友人を得て、お話を収集し本を出版し、販売し、時には本を買えない子どもに与えます。

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 これは一つの理想の形です。わたしは「お話を運んだ馬」になりたいと思いました。絶対売りたいと思う本を仕入れ、熱意を持って来店者におすすめしたいのです。そういう商売の基本をシンプルに踏まえたことをすればいいのだと思いました。

  また、お話を届けるのであれば、本屋でなくともよかったのではないかとも思います。

 例えば「家庭文庫」。個人の蔵書を地域に開放する尊い活動です。

 でも、やっぱり街には、実際に本を手に取って気に入ったら買える場所があるほうがいいとわたしは思うのです。幸い、わたしには自由に使えるいくばくかの資金があり、手伝ってくれる仲間と家族がいます。

 ナフタリのように本を書いたり出版したりすることはできなくとも、わたしは馬のスウスのように選りすぐりの本やお話や紙芝居を、児童館や公園やマルシェの片隅で、子どもやおとなに届けることができます。もちろん、「絵本で子育て」講座を開催する場をもつこともできます。

  ただの太ったおばさんが「お話を運ぶ馬」になろうと、実践しつつ学びつつ試行錯誤の日々をおくっています。
(ふじた・かずみ )

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