たましいをゆさぶる子どもの本の世界

 

「絵本フォーラム」第113号・2017.07.10
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いそがしいママの気持ちをおしはかる小さなおねえちゃん

「ちょっとだけ」(福音館書店)

 

ちょっとだけ なんだか、太平洋の両端で民主主義がこわれかけている。

 国民から賦与された権力をかなしいほどに勘ちがいした彼の国の大統領と此の国の内閣総理大臣が、権力行使の土俵で、やってはいけないムチャなふるまいに手を染めている。

 一方が、前任者の法的制度的成果を少しの思慮もなく改廃せんとすれば、他方は、身に降りかかる不都合を、取り巻きに、知らぬ・存ぜず・記憶なしと強弁させ、行政文書まで廃棄したとヌケヌケと語らせる。そのくせ、本人肝いりの危ない新法はろくろく審議させずに強行突破だ。唖然・呆然だろう。怒髪、天を衝くではないか。

 独裁者まがいの権力執行ぶりに彼我の対応はことなる。彼の国の議会や裁判所はムチャな大統領令をつぎつぎに蹴飛ばし三権分立の存在を強かに証す。此の国はどうか。選良といわれたころもあった政治家たち、図抜けた高学歴をほこり公僕の頂点とされてきたキャリア(最上級官僚)までが、最高権力の前に情けないほどにひれふしている。

 で、此の国の政治状況は「忖度」による政治社会というらしい。忖度とは、他人の気持ちをおしはかること。熟語自体に善し悪しはない。善用すれば、ちょっといい遣い方ができそうではないかと思う。ところが、悪用の極みとして語られるのが昨今の使用法だ。

 権力者の意を忖度して不都合な事実関係を否定する側近の口上など、子どもたちにまでウソっぽいとちゃんと見抜かれている。いや、子どもだからこそ、正鵠を射て、祖国の未来を憂えているのではないか。いま、こんな不誠実な権力者たちが、子どもたちの必須の学習教科に「道徳」を加えるというのだから、冗談にもならないどころか、国民を馬鹿にした話だろう。

                    *   *   *

 子どもたちが、誰かに忖度するとか、誰かの気持ちをおしはかるということがあるなら、邪さの一点もない絵本『ちょっとだけ』のようなおこないにちがいない。日常の子育てのできごとから生まれたという「なっちゃん」の物語は、胸がふるえるほどに感動的でほほえましいのである。

 あかちゃんが生まれて、小さなおねえちゃんになったなっちゃん。ママと手をつないで歩こうとしても、だっこ中のママはつなげない。だから、なっちゃんは、ママのスカートを”ちょっとだけ”つかんで歩く。牛乳をついでもらいたくても、あかちゃんが泣きだして…、ママはダメ。そこで、なっちゃん、はじめて自分で牛乳を……、やっとのことでコップに入ったのは、”ちょっとだけ”。

 なっちゃんは、ちょっとさびしいのだけれど、忙しいママの気持ちをせいいっぱいおしはかるのだ。不誠実な忖度をする大人たちとはまるでちがうのである。

 一事が万事、パジャマを着るのも、かみのけ結ぶのも、”ちょっとだけ”がんばりつづけて、ちょっとずつ成功していく、ほのぼのふんわりの、実にいいお話ではないか。

 なっちゃんの小さな成功体験は生きる自信にもつながって、行動範囲もぐんと広くなる。それでも、ママに甘えたいなぁ、なっちゃん。そこで「ママ、ちょっとだけだっこして……」と聞いてみるなっちゃん。「ちょっとだけじゃなくて、いっぱいだっこしたいんですけどいいですか?」と、やさしいママは応じるのである。

 「いいですよ」、満面笑みのなっちゃんの表情の豊かさを、ここで語る必要はないだろう。

  なっちゃんの表情をとらえたやわらかい描線や淡い色調が心地よい余韻をいつまでも読後感に残す。幼児絵本の朽ちない傑作だと思う。

(『ちょっとだけ』 瀧村有子=さく 鈴木永子=え 福音館書店)

 

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