えほん育児日記

わたしの子育て   

~絵本フォーラム第105号(2016年03.10)より~  第5回

 先日、お向かいの奥さんと立ち話をしていると、「最近、すっかりお姉さんになって泣き声が聞こえなくなってきたね」、と娘の成長を嬉しそうにおっしゃってくださいました。でも、ふと思い出したのです。その奥さんは、娘が小さかった時には、確か「泣き声なんて聞こえないよ~。私が主人に怒っている声の方がよっぽどうるさくて、ごめんねぇ」と笑っておられたのです。その時は、ホッと胸を撫でおろしていたのですが、実はそうではなかったのですね。ああ、申し訳なかったと思う一方で、その奥さんの優しさに触れた気がしました。

わたしの子育て 5-1  この地域に、夫婦で引っ越してきて、12年が過ぎました。周りに住んでおられるのは、私の親の世代の方々ばかりです。挨拶はするものの、井戸端会議の輪にも入りづらく、最初はうまくやっていけるのか不安でした。でも、そう思っていたのは私だけだったのかもしれません。やがて娘を授かり、おなかが大きくなるにつれて、皆さん、待ち望んでいたように声を掛けてくださいました。

  私たち夫婦にとっては、偶然(とは言っても、よくよく考え抜いた上で)家を求めた場所にすぎないのですが、娘にとっては生まれ育っていく大切な場所です。そこで、どのようにふるまうのか、そのお手本にならないと。私は「ご近所の迷惑にならないように」、ずっとそう心掛けていました。

  ところが、ある日雨の降るなか、小さかった娘を連れて出掛けないといけないことがありました。私は、車の免許を持たないのでベビーカーを出し、玄関先で娘にレインコートを着せていました。すると、はす向かいの奥さんが出てこられ、「どこまで行くの? 車で送るよ」と声をかけてくださったのです。車の中で、私は「すみません」と何度も謝り、恐縮するしかありませんでした。すると奥さんが、「私ね、子どもが小さい時に転勤で関東にいたのよ。子どもを公園で遊ばせていたら、年配の方が『子どもも連れて、うちにお昼を食べにいらっしゃい』って声を掛けてくださったのよね。誰も知り合いがいなくて、小さい子ども二人も抱えて大変だったから、ありがたかったわ。もう、その人には恩返しできないから、今度は私がね」とおっしゃるのです。私の心のなかで、何かが溶けていくのを感じました。

  誰にも迷惑を掛けずに生きていくなんてできることではありません。でも現代の、どんなサービスも私の子育て5-2外注できる便利な世の中に生活していると、それができると錯覚してしまいそうです。

  私も正直、相手に負担を負わせるよりも、自分が負担する方が気持ちがラクだと思うこともあります。でもそれは、人との関係を遮断した目先の考え方なのかなと思います。日常の生活のなかで、お願いできる相手がいて、私もお役に立てるときがある。それはとても幸せなことなのだと気がつきました。そして、時や場所が違っても、優しさはつながっていく。そういう人間関係や考え方を、子どもたちにお手本として示せる大人でありたいと思うようになりました。

  最近では、家の周りに、小さいお子さんのいる世帯が増えてきました。窓を開けていると、裏の新しいお宅から、赤ちゃんの泣く声が聞こえてきます。「ああ、かわいいなあ。そんな時期もあったな」と思います。今度赤ちゃんのママに会ったら、私も、どんな言葉を掛けようかなと考えるのです。ここで生まれ育つ子どもたちのために、私ができることって何だろう。そんな風に考えるようになったのも、周りの皆さんからたくさんの“優しさのバトン”をいただいたからだと思うのです。

  まだまだ私も、娘の子育てに奮闘中ですが、いつか、託されたバトンを次へとつないでいけたらと思います。

(くりもと・ゆうか)

 

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