えほん育児日記
〜絵本フォーラム第105号(2016年03.10)より〜

さらけ出す覚悟があるのか?

 

上甲 知子(絵本講師)

 

 わたしは、人の前に立って自分をさらけ出している。ひとりの母親として。ひとりの働く女として。ひとりのかつて子どもだった大人として。ひとりの人間として。

さらけ出す覚悟があるのか?  絵本講師として人の前に立つということは、結局は自分をさらけ出すということなのだ。どんなにきれいごとを言っても、どんなに取り繕っても、人の前に立って話をするということは、自分自身がすべてさらけ出されている、ということなのだ。どれだけ真摯に相手と向き合っているか。どれだけ切実な想いを持ってその場にいるのか。どれだけ本気なのか。それが相手には、伝わってしまう。伝えようとしなくても、結局はばれてしまう。

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 以前、「絵本講師・養成講座」専任講師の藤井勇市氏がこうおっしゃった。
「絵本を読むということは演じるのではない。上手か、下手かでもない。自分のすべてが出るのだ。全人格がでるのだ。それは、自分はどのように生きてきたのか、いま何を考えているのか、これからどうしていきたいのか、それが絵本を読むことによって相手に伝わるのだ」

  その言葉にビリビリと感電した気がした。そして、絵本講座の回を重ねるごとに、身を以て、それが真実だと知った。毎日をどんなふうに暮らしていくか、なにを大事に生きていくか意識するようになった。小手先のことをいくら工夫しても、結局は全人格が伝わってしまうのだ。だからこそ、今となっては、辛かったことも、苦しかったことも、すべて自分の糧になる。最終的には、自分の糧になる。糧、という言い方はかっこつけ過ぎだが……。どん底にいるときは、そうは思えない。けれども、必死で這い上がって、時間が経つと、「財産」になる。生々しい「財産」だ。どれだけそのかっこ悪い部分をさらけ出せるか。自分の体験を他者と共有すること。それは実はとても尊いことなのだ。

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 けれどもまた、すごく怖いこと。自分のずるいところ、ええかっこしいのところ、偽善的なところ、すべてばれている。ばれている、と承知の上で、それでも、さらけ出す覚悟があるのか。そう自分に問いかける。
「ある。」

  さらけ出して、伝えたいことがある。自分の中身をさらけ出して、そしてそれを、相手がどう受け取るかわからないけれど、伝えたいことがある。もちろん、どうしたら伝わるか、常に考える。その「財産」を生のままは出さない。工夫する。声の出し方、話す順番、話す速さ、読む絵本、はさむエピソード、目線、服装。すべて工夫する。できれば、伝わりやすい方がいい。だから、いつも考える。いつも、いつも考えている。どうしたらもっと良くなるか。どうしたら、もっといい講座ができるか。考えることはやめない。考え続けることは、とても楽しい。

  あれも言いたい、これも言いたい、これも読みたい、これも紹介したい。言いたいことはたくさんある。けれども、削っていく。削っていく。削って削って削って、残ったもの。それが、なんと、「絵本講師・養成講座」の最終レポートだ。先日、久しぶりに読み返してみて、「ああ、いちばん伝えたいことはここにある」と改めて知った。肝(きも)の部分が、「ここにある」。

  迷ったら、つまずいたら、落ち込んだら、最終レポートを読み返してみよう。立ち戻ることができる。

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 ひとりの人間ができることは、たかが知れている。けれども、やらないよりはまし。知っているなら知らない人に伝えたい。絵本のある子育てが自分自身をどんなに救ってくれるか。目には見えない大切なものを育むのに、ほかに方法を知っているならいい。でも、もしも知らないなら、まずは絵本を読もうよと。小さな1対1の関係、母と子の関係から世界平和が始まる。そう確信している。

一期一会と覚悟して、真摯に向き合っていれば、少しずつでも道はつながる。
必要な人に届きますように……。


(じょうこう・ともこ)
 

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