古い文章が二つ見つかった。一つは、今から15年前のものである。この時期も、少年事件が続発し社会に憂色が漂っていたのだろう。15年の時間の経過の中で社会はどのように変化したのか。「大人」は成長できたのだろうか。当時の考えを録しておきたい。
事件の背景に社会の醜悪さ
少年による凶悪事件が続発しています。
事件の背景を語る教育者や心理学者の言説が飛び交っていますが、何となく皮相的で、問題の本質から遠い議論に思われてなりません。
少年たちには見えているのではないでしょうか。
――経綸を語れない政治家、社員を大切にしない企業経営者、国民を統治している、と錯覚している官僚――そして、これが、この国の悲しくも貧しいリーダーたちの実態であるということが。
このような大人の社会を見て育つ少年たちの未来は、決して明るくはなり得ないでしょう。少年たちの一連の非行や凶悪事件をしかめっ面で批判し、道徳教育の必要性を性急に説いたり、少年法の改正を立法プログラムに組み込もうと算段したりする大人たちの姿。
こんな大人たちに、少年問題の解決策をうんぬんする資格がいったいどこにあるというのでしょう。改正すべきは大人社会のルールのはずです。
誇りを投げ捨て、自己本位、拝金主義にまみれた大人たちの喫緊の課題は、醜悪な自らの姿を正視することから始めなければならないのではないでしょうか。
少年たちの深い「心のやみ」の背後には、大人社会の身勝手なエゴが透視できます。(朝日新聞『声』欄掲載、2000年8月18日)
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更に一つは、2年前のメモである。「改憲」論議が盛り上がり、姑息にも改憲の正面突破が困難なため、第99条から手をつけようとする与党に批判が集中していた。確かこの時も小林節氏は、その手法は「裏口入学」のようなもので「お話にならない」と批判していたと記憶する。しかし、憲法をめぐる事態は人々の政治的無関心をいいことに危険な方向に進んできた。2013年の「特定秘密保護法」の制定(翌年12月施行)。2014年には今問題になっている集団的自衛権を閣議決定し憲法を蹂躙した。安倍晋三政権の「戦争国家」への暴走は止まらない。
そして今、国会で「戦争法案」(安保法制)が論議されている。この法案の中身は、安倍晋三首相が宗主国・アメリカを4月に訪問したときに勝手に持参した「土産物」である。この国は外交・防衛政策を自分で決定する権利(主権)を持ってはいないのである。
6月4日の衆院憲法審査会で与野党の推薦した憲法学者三人が意見を述べた。三人とも、集団的自衛権を認めた「戦争法案」(安保法制)は、「憲法違反」であると陳述した。憲法学者の良心であり、真情の吐露であろう。
政府は集団自衛権行使の根拠として1959年の砂川事件の最高裁判決を引用しているが、長谷部恭男氏(早大教授)は「判決で問題とされたのは、日米安保条約である。集団的自衛権の行使の可否は論じていない」。また、小林節氏(慶大名誉教授)は、「内閣は憲法を無視した政治を行なう以上、独裁の始まりだ。法的にも政治的にも経済的にも愚策である」と厳しく批判した。
暗黒の未来が視野に入ってきた。今、「大人」は何を考えるのか……。
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「戦争法案」(安保法制)は直ちに廃案にすべきである
私の生まれる1年前に現行憲法は施行された。したがって現憲法は1歳年上の兄貴である。66年を閲した憲法記念日に前後して「改憲論議」が活発におこなわれている。そのこと自体に論評は加えない。が、目的を隠して手段を先行させるという姑息な論議にはついていけない。「第96条を先に」の議論である。本末転倒としか言いようがない。
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各種報道を徴すると、米国による「押しつけ憲法」論議が多いように感じる。また、先進各国の改憲(定)回数を、その内容を詳しく精査することなく羅列し単純比較している。各国の改憲(定)の内容を詳述して提供してこそ比較考量の意味があるのではないか。
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現行の報道はそのような要請に応えているとは、到底言えない。そのようなミスリードが将来に禍根を残す、という危惧はメディアにはないのだろうか。報道姿勢に危ういものを感じてならない。主権者(国民)が憲法で国家(時の為政者)を縛る、という立憲主義の本質から外れた改憲論議は、まことに雑駁であり貧しいと言わなければならない。
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このような考えはどうだろう。現行憲法はこの国に「不戦の67年」を贈ってくれたものとして捉える。そのように考えれば「出自」(押しつけ)云々は影を潜める。出自より育ちである。
この国の民は、この憲法を持って戦うことのない「67年間の日本」を育ててきたのである。これを米国(世界)からの「贈り物」と呼べばおかしいだろうか。真に感謝し誇ることができるのではないか。改憲の正当性は微塵もない、と考える。(2013年5月4日記)
(ふじい・ゆういち)