――いま、憲法が危うい。
現安倍晋三政権は二〇一四年七月一日、解釈改憲により集団的自衛権を容認し憲法九条を破棄した。さらに同年一二月一〇日には特定秘密保護法が施行され、この国は暗黒の社会となった。
あまり知られていないが、今から四七年前の一九六八年五月二日、憲法制定についての貴重な証言があった。
以下、講演録(*)から引用する。
新憲法制定に責任はないか
ここに私は、ひとこと若い人びとのために証言しておきたい。古い明治時代から続いたいわゆる帝国議会の最後で、この憲法が議せられた議会は憲法議会と称せられたものであります。その時に私は、偶然にもいまの参議院に当る貴族院の末席をけがしておりましたから、その間の事情は存じております。そこでひとことだけ証言をしておきたい。
それは忘れもいたしません。終戦の翌二十一年の三月六日であります。突如新しい憲法草案が政府の名によって発表されました。その内容は非常な驚きをもって迎えられたのです。新聞のみならず日本国民全体にとって、ひとつの大きな驚きでありました。なぜかと申しますと、その新しい憲法草案の内容は、いままで政府の内部で審議していた委員会の内容とも根本的に違う。また社会党をはじめ、いろんな政党それぞれがつくっていた草案の内容とも根本的に違ったほどの、自由な新しいものであった。この点に、私どもは疑問をもったのであります。どうしてこの草案ができてきたのか。おそらくは、日本の当時の政府があまりにも保守主義過ぎて大改革に踏み切れなかった。それに耐えかねて司令部からひとつの原案が提示された。それが草案となったものと思われる。けれどもその当時は、それは秘密でありました。議会において私どもがその経過の説明を要求しましても、これは秘密とされて答弁がなかったのです。しかし、この憲法草案が当時の衆議院、貴族院を通じまして、多少の字句の修正はありましたけれども、そのまま通過し、こんにちの日本国憲法となっている、これは事実であります。
それならば、なぜわれわれがその憲法に賛成したか、少なくとも私がなぜに賛成したか。憲法の制定された経過については問題がある。またわからない点がある。けれどもその内容こそは、イギリス、フランスをはじめ、世界の諸国民が多くの革命を経て、多くの犠牲を払ってまでたたかいとった新しい国民の自由の憲法にほかならない。けだし多くの人は、そういう意味でこれに心から賛成したものと私は思います。
さらにそれのみならず、もうひとつ隠れた事実があります。その後かつての帝国議会が廃せられて、現在の新しい国会ができた。その翌年かに、マッカーサー司令部からひとつの通達がありました。「諸君が最近制定したあの新しい日本国憲法について、どこか改正するところはないか、それがあったら申し出されたい」というものです。それに対して政府はもちろん、野党をふくめて全国会、全議員が「どの一点も改正するところはございません」と回答しました。これは新しい国会によって行なわれたことです。それをいまの憲法について、われわれ日本人に責任がないと申せますか。私はあると思うのです。
その憲法草案を提案した政府、それに賛成した与野党、また新しい国会となってからの政府はもちろん、それを支持した与党、ならびに野党をふくめ、国会の全議員はいまの憲法に対して非常に大きな責任があると私は思うのです。ただし、私は申しておきます、率直に。そういう事情でできたこの憲法は、適当な時に立派な文章で書き直したらよいと思う。私はこのことを年来、主張している。その憲法は、いまの憲法と同じ内容を書いてよいから、適当な時に、はじめから日本の文章で書き直すことです。
しかし、その「適当な時」というのがだいじであります。ただいまのようにどこかの国からいろいろな注文があったり、要求があったりする時代はだめです。本当に日本が実質的に完全に独立して、平和となった時にこそ、自分の言葉で、自分で書くのがよいと私は思います。そしてできるこの新しい国家の憲法をだれが書こうとも、そこには三つのだいじな柱があると思います。
上の抄録は、(*)『若い世代への証言』(南原 繁/著、図書月販・出版事業部、一九六八年)の中の「新しい人間像と国家像――若い世代の人びとへ」からの引用である。南原繁(一八八九~一九七四年)は元貴族院議員、東大総長(昭和二〇~二六年)を務めてきた著名な政治学者である。また南原は、サンフランシスコ講和会議直前、戦勝国との講和条約をめぐって「全面講和」の論陣を張った。それに対して時の総理大臣・吉田茂は、ソ連や中国共産党を除く「単独講和」を進めていた。そのとき吉田は南原に向かって「曲学阿世の徒」(真理をまげて世の人の気に入るような説を唱え、時勢に投じようとすること)と罵り物議を醸した。どちらが「曲学」で「阿世」であるかは歴史が証明するだろう(もう決着済み、と言う人が多い)。そして、この国は全面講和の道を選ばなかった。
証言は、『図書月販』という一私企業の社員集会(創立五周年記念式典)での講演であった。その図書月販(後に『ほるぷ』と社名変更)に、私は数年後に入社することになる。
かつて安倍首相は現憲法について「憲法はGHQ(連合軍総司令部)の素人が八日間で作り上げた代物」、と発言したことがあった。憲法に対して、このような浅薄な認識の持ち主が、今「戦争のできる国」に向かって「安保法制」(=自衛隊が米国の後方支援を行う作戦計画の策定)を強引に進めている。恐ろしいことである。二〇一五年三月二〇日、自民、公明の与党は安保法制に正式合意した。五月から同法案の国会審議がスタートするが、先行きは危うい。法案の「正体」に気づいたとき、私たちの住む世界は一変しているのではないか。
(ふじい・ゆういち)