絵本のちから 過本の可能性
特別編
〜New Yord Dayori〜
「絵本フォーラム」38号・2005.01.10
ニューヨークから見た日本の子育て
早津 邑子(ニューヨーク・こどものくに幼稚園園長)

英語社会で育つ子どもたち

 幼児教育に携わって30年以上たちますが、時代の変遷とともに子どもたちの生活スタイルもかなり変わってきました。物質的にはとても豊かになったけれども、精神的な豊かさをどんどん失いつつある日本の姿が、子どもたちの遊びを通して見えることが多くなりました。

 1970年代の一般のアメリカ人は日本がどこにあるかも知らなかったし、「ジャパン」という言葉をテレビやラジオで聞くこともほとんどありませんでした。極東の小さな島国は1980年代にアメリカ経済とは対照的な時代を迎え、豊かさの代表となった「円」を世界中にばらまきました。その豊かさの中に子どもたちも含まれていたのは言うまでもありません。子どもたちは塾の繁栄とともに家族で食卓を囲む機会を奪われ、欲しいと思ったものはすぐ手に入り、「楽しみに待つ」ことの喜びを知らず、小型のビデオカメラの開発とともに、自分が中心で当たり前という映像を見て育つようになりました。
 ニューヨークは東京を小さくしたような都市ですが、この30年ほどの間にアレルギー体質の子どもが異常に増えました。また、おけいこごとなどの送り迎えで子どもに振り回されているお母さん方の姿に心が痛みます。あまりにも忙しすぎる日々に子どもたちの何が変わっていったのでしょう。そして、見せかけの豊かさは日本に何をもたらしたのでしょう。

 1983年、「欧米諸国に住む日本人は現地の学校に行くべし」という現地校主義が文部省(現・文部科学省)から発せられました。母国語で育つことがどれだけ大切であるかを一生懸命訴え、ようやく少しずつ理解され始めていた矢先のことでした。どんな根拠があって現地校主義になったのか、異文化に暮らす子どもたちの現実を知る私たちにとっては、理解に苦しむことでした。私たちの母国が距離だけでなく、はるか遠くの存在に思われた出来事でした。
 ニューヨーク近郊では、ナーサリースクールで不適応を起こす子どもが小学生よりはるかに多く見られましたが、抵抗するのに十分な「ことば」を伴わない幼児が心を閉ざし徐々に自分を見失っていっても、注意深く見守ってくれる周囲の大人がいなければ気づかれないことが多いのです。それゆえ、小さい子どもは異文化にすぐに適応し、英語習得も無理なくできると思われてきたのでしょう。一番楽しいはずの幼児期なのに、どうしてこんなに悲しい目をして毎日を過ごさなければならないのか。日本語で思う存分遊ばせてやりたい。自分の思いをことばで語る喜びを体験させてやりたい。現地の学校で出会った多くの子どもたちの姿が、こどものくに幼稚園設立に導いてくれたのです。

 こどものくに幼稚園のカリキュラムは、英語社会で育つ環境ゆえ、「ことば(日本語)で表現する」ことに重きを置いています。なぜならば、外国で自分の力を発揮するためには、「母国語の力」がとても重要だからです。英語を習得することはもちろん、多文化社会で生きるためには、母国語で考える力をはぐくみ、自分の国の文化を誇りに思う自信に支えられる必要があります。限られた日本語環境の中で、いかに豊かなことばに囲まれて生活できるかという工夫は、長い間の試行錯誤の実践を通してなされてきました。その中で特に家庭と協力して取り組んできたのは次の2点です。

  1 大人がおしゃべりになり、正しい日本語を使う。
  2 絵本を毎日読んであげる。

 幼児は英語で「picture reader」と呼ばれているように、絵を読み取る天才です。絵からことばへ、そして創造へと発展していく絵本はまさに子育てになくてはならないものです。日本語環境の少ない外国では特に大切で、幼稚園でも父母会の協力のもとに図書の貸し出しが始まりました。しかしながら、今と違って、アメリカで日本の本を入手するには2倍もの値段を払わなければならなかった時代のこと、容易に買いそろえることはできませんでした。それゆえ、保護者が赴任時に日本から持ってこられた本を譲り受けることにしました。古本と言えないような本から手あかにまみれるほど読み込まれた本まで、多くの保護者の協力があって始められたのです。英語社会の中で日本語の語りを真剣なまなざしで聞いている子どもたちの姿を見て、福音館書店創設者・松居直先生の「子どもはことばを食べる」という表現をしみじみ思い出していたのでした。


日本の子どもたちが危ない

 今、「日本の子どもたちが危ない」と痛切に思う材料があります。こどものくに幼稚園では、バランスの取れた発達をしていない子に発達検査を受けてもらい、集団の中で専門家に介入してもらうというアメリカの制度を取り入れています。発達検査を受けた子の数は、約20年前には5・6%だったのですが、昨年は30%にも上り、多くの子どもたちが何らかの手助けを必要としています。
 「日本人はおかしいよ。日本は一体どうなっているの?」アメリカ人の専門家があまりに多い発達検査の依頼に発した言葉です。もちろん外国で生活するということは、自分の弱い部分や苦手なことが助長されます。しかし、園児のほとんどは日本で生まれ育っているにもかかわらず、年齢並みのことばを使えない子どもが増えています。3歳になっても自由にことばのキャッチボールができないようなら、大人の積極的なかかわりが求められていると考え、子どもの発達に心を向けるべきです。

 子育てが大変だと言われている日本ですが、早期教育をうたうメディアに惑わされなければ、必ず親としての充実感を味わい、楽しい子育てができます。ありすぎる情報から身を守ることも、現代社会をよりよく生きるすべだと思います。外国から日本を見ているからこそ、おかしいことをおかしいと思い、日本の未来を背負う子どもたちに豊かなことばが必要だと切に感じる今日このごろです。

前へ次へ