絵本のちから 過本の可能性
★特別編★
「絵本フォーラム」23号・2002.07.10

まつい・ただし氏 略歴

 1926年生まれ 福音館書店編集部で創作絵本の出版に力を注ぎ、多くの作家を育てる。1956年、月刊絵本『こどものとも』を創刊、編集長として活躍する一方、絵本の創作や批評活動も精力的に展開し、児童文学界に大きな影響を与えた。主な著作に『絵本とは何か』など。
温 か な 言 葉 に 包 ま れ て
親 子 で 絵 本 読 む 歓 び
松居 直(児童文学家)
絵本は読んでもらうもの


 私の絵本編集の基本方針が2つあります。まず第一は、“絵本は子どもに読ませる本ではない”というものです。ではどうすればよいのか?と質問されます。その答えは、“絵本は大人が子どもに読んでやる本です”ということです。
 活字になっている言葉には、いちばん大切なものがかくれてしまっています。それは言葉を文字という記号にするときに、一度消えてしまう声と息づかいです。この声と息づかいこそ、言葉の命と力が秘められているのです。声の言葉、口で語られる言葉からは語り手の気持が伝わってきますし、言葉がいきいきと働きかけてきて、聴き手の心に響き、楽しみや歓び、ときに悲しみや恐れの気持をかきたてます。それが言葉の力としては最高のものです。
 絵本を子どもに読んでやる意味には、子どもの言葉をゆたかにする働きがありますが、もっともっと大切なことは、読み手と聴き手が“共に居る”ということです。子どもは特にお母さんやお父さんと一緒に居ることが歓びです。しかもその時に、お母さんやお父さんの口から楽しい物語が語られれば、子どもは最高に幸せです。独りで絵本を読んでいるのとは較べものにならぬ充実した体験です。こうして誰かと共に居て、ゆたかな言葉に包まれ、人としての交わりのかけがえのない経験をしてこそ、温かいゆたかな心をもった人に育つのです。そうした経験の乏しい若者が、信じられぬ恐ろしい行為に走っているように思えてなりません。不可解なほどに言葉を欠いた暴力の裏には、決定的な声の言葉の体験の欠除があるのではないでしょうか。
楽しい絵本が気持を動かす


 編集方針の第二は、“役に立つ為になる絵本はつくらない”というものです。では子どもにとって絵本は何なのですか? と質問されます。その答は、“絵本は楽しみが一番です”というものです。
 役に立つ為になる本は、頭の中に入りますが、楽しい絵本は子どもの気持をまず動かし、心に残ります。知識や情報を頭にそそぎこみ詰めこむ前に、気持を動かして心の働きを活発にすることが、今の子どもたちには特に大切です。科学の絵本であっても、子どもが驚いたり、新しい発見をしたり、知ることや考えることを楽しみとして経験することがなければ、心に深く残り活性化することはできません。ああ面白かったと子どもがつぶやくような科学の絵本こそが、一級品といえるでしょう。
 早くから文字を教えて、自分で絵本を読ませることも、真の読書力を育てることにはなりません。読書は文字を読む技術を身につけるだけではできません。本は一冊一冊が違った言葉の世界で、読書とはその言葉の世界へ深く入り込み、作者の考えや気持や、イメージや感じ方を探り当て、ときには息づかいまで感じとることです。文字が読めても言葉の世界へ自由自在に入りこむ力がないと、ほんとうの読書はできません。文字を教える以前に、言葉を聴いて、言葉大好きになることです。
 それには赤ちゃんの時から、やさしく温かい気持のこもった言葉で話しかけ、言葉で抱いて育てること、つまり子守唄をうたってやり、絵本や昔話を読んでやることです。耳で声の言葉を聴いて、自由自在に言葉の世界、つまり物語の世界に入りこみ、楽しい言葉の体験をとおして言葉大好き、本大好きになった子どもが、文字を覚えたときに、字を読むという技能を駆使して本の中に入りこんでゆくのです。日本の成人の読書率が約40%であるのも、本離れや活字離れがすすむのも、本質的には言葉離れなのです。
 読書は言葉を聴く力を身につけることからはじまります。子どもが字を覚えたときこそ、本を読んでやる絶好の機会ですし、何よりも読み手が共に居てくれるという最高の幸せがそこにはあります。幸せを一杯に経験した子どもは、きっと人を幸せにする言葉の使い手となるでしょう。

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