遊びを仕事する

− 3 −
運動会と園庭(1)



 現在、運動会は、日本全国の小中高等学校はもとより、会社や地域の町内会などでも広く行われています。また、幼稚園、保育園においても、ほとんどのところで行われており、これを中止することは、園児募集、園の経営に大きな影響を与えるため、とても考えられる状況にはないと思われます。しかしながら、欧米の学校や幼・保育園では、このような運動会は全くありません。この違いはどこから来るのか、保育における運動会の役割という観点から考えてみたいと思います。
 日本での最初の運動会について調べると、「明治7年、東京築地にあった海軍兵学校寮で行われた『競闘遊技会』が日本で最初の運動会です。その後すぐに全国の学校に広がり、明治の終わりには、地域の行事にもなったそうです」とありました。さらに詳しく、『運動会と日本近代』(青弓社)という本で調べた結果、次のようなものであったと解釈します。
 イギリスの海軍士官が提案した「競闘遊技会」なるものは、海軍の授業には全く関係なく、今で言う「レクリエーション」「スポーツ」のように、学生及びその家族を含めた関係者も参加して、みんなで1日楽しく過ごす、「遊びの行事」として始まったものです。ところが、この兵学校は、上級階層の子弟に国の将来を担うための学問や訓練を施すところであったため、この行事を単なる遊びではなく、学校主催の教育的要素を持つものに変更する必要がありました。その結果、「体育」を創り出し、集団行動(主に体操や行進)が追加されることになったと思われます。
 このような事実はあまり知られておらず、ほとんどの日本人が、欧米には運動会があると思い込んでいるのですが、最初に書いたとおり、運動会はありません(ついでに言えば、運動会と関連して行われるようになった、団体行動訓練の要素を持つ「遠足」もありません)。また、競闘遊技会は娯楽的要素もあったため、日本人の「祭り好き」に同調し、瞬く間に全国に普及していったとも紹介されています。
 ただ、事実はそのように単純ではなかったとも、『運動会と日本近代』では述べられています。すなわち、欧米で学び、後に初代文部大臣となった森有礼が「日本を強い国にするには、身体の鍛錬が必須である」との教育哲学を持って、運動会を普及させていったのだと説明されています。さらに、運動会での集団行動や体操は、当時の富国強兵の軍事訓練を全国民に浸透させることに役立ったと述べる一方、その問題点として、「日本人の集団的無意識」を助長し、わが国の近代的な社会システム構築の礎となったと指摘しています。
 このことを幼・保育園に当てはめれば、日本の集団行動中心の保育は、社会的制度や組織を無関心・無批判に受け入れる思想を、園児のみならず、先生にも植えつけるものとなっているのではないかと危惧しています。
 次号では、現在の運動会の持つ問題点を紹介し、本当に個性豊かな子どもに育てるための運動の場として、「園庭」について述べさせていただきたいと思います。

「絵本フォーラム」32号・2004.01.10


前へ次へ